福島原発で働いて頑張っている方には大変頭が下がります。また、マスコミの矢面に立っている、東電の広報担当者、保安院の説明を担当している方々にはこれも頭が下がります。
今回の地震、津波、原発の三重苦は、たしかに日本の戦後の歴史のなかでは非常事態といえるでしょう。
さて、1週間がたってまったくもっての私見ですが、いろいろ考えました。それをここで書きたいと思います。
まずは、擁護から。
今回の地震は、とにかく、想定外というのは聞きたくないという人もいますが、あえて言いますが、まさに“想定外”であることは間違いないでしょう。
ましてや世界最大ともいえた、万里の長城とまでいわれた堤防すら、役に立たなかった。相馬市から新地町までも防災上、三段階の生活防波堤もあったが、それも突破された。福島第一原発の事故も、じつは根本的なところではきっちりと役割を果たしていた。つまり、これ以上核分裂が起きないようその機械も作動した。
政府に関しても皮肉だが、自民党がやってきたことを白紙に戻してしまった。これが、不幸のほうに回ってしまった。
政府は、地震と津波の対策を練っていたところに、原発が降って湧いてきた。さらに東電は、これまた地震と津波で破壊された電気を確保するために動いている矢先に、原発が起きてしまった。
この三重苦に対応するには、いまの民主党では力不足ということは否めない。これは、国民の責任ともいえる。なぜなら、国民が民主党政権をえらんでしまったから、というのが本当のところだ。だから、これは国民で甘受しないといけないだろう。違った見方をすれば国民は政府に対して要求はできるが、批判はできないのだ。とくに、さきの衆院選で民主党を選んだ国民は、正直、いまの政権を批判する資格はない、ともいえる。批判できるのはその時、自民、公明に入れた人たちが批判できるのだ。まあ、これに関しては、テレビマスコミ、5大新聞は黙ってろ!!だ。彼らには批判よりも提言が大事だ。なぜなら、あのとき、自民党政権を批判しまくった。さらに言えば、提言すらしなかった。
某評論家は、正しい数字をもっとだせ、とか、政府と東電は結託しているだの、この期に及んで批判ばかりしている。もし、正しい数字を出したとしても、隠していると、いうにきまっていることだ。これまでの彼らの活動を見ているとそういう傾向にある。
週刊誌は、自民党政権こそ批判すれ、しっかりと民主党の問題も指摘していた。
これは民主党だけの責任ではない。それを指摘せず、国民をミスリードした。その責任は、万死に値するだろう。
ここからは、批判だが、管首相の初動は、まあまあだったと思う。しかし、そのあとが、どう見ても後手に回った。実は、管もしっかりとした見識を持っていたようだが、しかし、結局東電の幹部たちに押し切られてしまった。初めから押し切ればよかったと思える。
まあ、そこはいいとして、原発に関しては、あまりにも分割しすぎた。東京都、福島県のふたつに分かれてしまっていた。だから、報告が二転三転、確認確認に追われてしまっていたように思える。
私は、東電は、広報本部を福島県に置いた方が良かったのではないかと。地震津波で揺れる県庁内に本部を置いてマスコミに対応すれば、問題はなかったのではないかと。原発は、福島。計画停電は東京で2極化させた方が混乱がなかったように思える。
原発は福島、計画停電は東京。それで文句をいう、マスコミは、「甘ったれるな!!」と一括したい。
さて災害救助援助だが、管のリーダーシップという点で、いち市民活動家だけにリーダーにはなれない。というか、その素質はない。残念ながら。
しかし、面白いのは、ボランティア活動に従事していた、辻元を内閣府に入れるなど、今後の動向が、期待できそうな雰囲気がある。
とはいえ、こうも仙谷、平山といった連中を内閣府とかにいれたものだ。まるで、極左政権そのもの。自衛隊を暴力集団といった仙谷をいれるなど・・・・。
ただ救いは、市民と自衛隊員、東電で原発の前線で活動している職員たちだ。秩序正しく、革命家きどりの首相に振り回されながらよく頑張っている。
私は、正直いうと、結局、終わってみたら、「よく頑張った。これだけの災難にあいながら」ということになるだろうと。