いま、国会議員の間で話題になっているのが臓器移植法の改正について。
その理由について、0歳児からの移植を可能にして欲しいこと。海外に行って移植する場合は莫大な費用がかかること、そして最大の理由が、WHOが移植のための海外渡航を禁止する旨を通達してきたからだ。
ところで、つねに国連主義を掲げてきた議員の皆さんはどう思われるのでしょうか。
改正案は、主に三つに分かれています。
①脳死をしっかりと定義し、脳死と判断したところから年齢に関係なく、移植できる。
②最終的には、脳死をヒトの死とするが、移植は順次12歳以降から。
③「脳全体のすべての機能が不可逆的に喪失した状態」とし、判定基準に「脳血流と脳代謝の停止」も追加する。ということでいまよりも厳しいものとなっている。
③に関して、賛成するヒトがいること事態、正直いうと信じられない。そもそも、乳幼児の段階で、移植しかない状況をどうすべきか、ということを議論し、そのためにはどうしたらいいのかを考えているのに、読売オンラインの記事では、社民党の阿部知子議員が、同案によって患者の治療法がさらに限定される点を問われると明言を避け、「乳児の拡張型心筋症の場合、ペースメーカーを使った治療で良好な結果も出ている」などと述べるにとどまった。という。
やっぱり、社民党は本当にいてもいなくてもいい議員が所属する政党とますます思ってしまう。議員の話を聞くと、こんなのコメントにもなっていない感じがするのだ。
まさにKY的発想。根本的な説明になっていない。そのほか、改正案に反対しているのが、人権団体と人権弁護士たちだ。そのひとりは、バリバリの左翼弁護士。
人権派を気取るなら、中国や北朝鮮の共産党政権における人権侵害についてシュプレヒコールをすべきだが、そんなことをしないエセ人権派の連中だ。こういう連中が、反対しているのだから、まあ、こいつらの意見は無視に限る。
左翼の連中と話すと、話しの本筋が見えてこないどころか、こっちの言い分を聞こうとしないのだから話しにならないのだ。だからこそ、無視に限るのだ。
ところで、正直、この臓器移植の問題は、難しいものだ。
去年だったか、江口洋介が主演した、「闇の子どもたち」がいい例だ。子どもの命を救いたいがために、怪しいブローカーを通して、移植を試みようとする。しかし、NGOの女性職員が、その親に食って掛かる「その移植によって貧困の子ども達が犠牲になっていることを知っているのですか」としかし「それでも、子どもが救えるのなら、どんなものでもすがりたい」と怒りをぶちまける。そのシーンは、まさにこの移植法との兼ね合いも深いものだろう。
臓器売買の世界は、いまでは日本がいい顧客になっているともいう。この現実をどう見るのか、それにWHOがなぜ、移植のための渡航を禁じるようになったのか、これがまさに人権派といわれる弁護士らが議論すべきものだと思う。