ゲーム批判の前に思うこと | 独断と偏見の日記帳

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八戸母子殺害事件 長男所有の猟奇漫画押収に懸念
 青森県八戸市のアパートで母子3人が殺害されて放火された事件で12日、青森県警八戸署は焼け跡から、逮捕されている長男(18)のものと見られる漫画本を押収したと発表した..........≪続きを読む≫


 やっぱり、この手の事件が起こるとテレビゲームや漫画などの有害図書に関する記述が各マスコミで踊りだします。


 毎回、その報道が出るたびに疑問に感じるのは、漫画はともかく、テレビゲームソフトを買っている人って誰なのか、ということを聞きたくなるのです。


 それに、いまだテレビゲームと犯罪との因果関係の科学的根拠がはっきりしていない現状にあって、テレビゲーム=悪という論理は画一されていないのが実情なのだ。


 よくよく、事件を考察してみると、殺害事件の主な根拠が、家族関係の崩壊だったりするのだ。テレビゲームや漫画は、犯罪者の言い訳や犯罪の心理的根拠を探ることを放棄した人々の言い訳ではないかととも思えてくるのだ。


 私の独断と偏見では、確かに影響はあるかもしれないが、その影響の大きさはそんなでも無いと思うのだ。つまり、自分が好きなものを全否定されてしまったことへの恨み。自分の心をわかってもらえないことへの憎しみなどが積み重なり、自分自身で抑えきれなくなって事件を起こすというのが本当の理由ではないだろうか。


 親のほうが真正面から受け止めないという行為が、事件を引き起こしているのではないだろうかと・・・。


 たとえば、テレビゲームをあげれば、親は子供たちにゲームはして欲しくないという。しかし、ハードソフトは少なく見積もってもPS3は5,6万円台。Wilも3万円近くする。Xboxにしても5万近い。さて、小中学生にそれだけの購買力があるのかというと否だろう。


 さらにソフトも、数千円から1万円近いものまで存在する。ネットで格安なものが買えるといっても、たかかがしれている。結局は、ソフトもハードも親が買っているのと同じなのだ。


 その責任はどうするのだという疑問がわいてくる。親としての責任を放棄しておいて、テレビゲームをするとおかしくなるとか、どうしたら、ゲームをやめさせられるのか・・・といった声が多くなる。それでいて、ニンテンドーDSなどの学習用ゲームが出てきたら、コロッと豹変する親や大人たち。


 また、研究者もテレビゲームをやったことが無い人が、研究と称して、人にやらせた結果のみを参考にしてゲームは悪いという。


 その研究者は「外で遊ぶのがいい」というが、いま都会ではその環境すら危ぶまれている。さらに塾に通っている子供たちが、ひとつのコミュニケーションツールとしてゲームを利用している。


 だいたい、外で遊べといっても、田舎に限らず、都会でも7、8割がたの子供たちは塾へ通っている。そのため、たとえば野球をしようとしてもひとが集まらない。集まったとしても1時間もしないうちに「習い事があるから」と次々といなくなる。結果的に少人数となれば、面白い遊びもつまらなくなるのが実情だ。その結果、どこいくかということになるとテレビゲームに集約されるのだ。


 ましてや周りに遊ぶ子供がいなくなれば、必然的に部屋で遊ぶことになる。ここで、問題になるのが、両親が共働きでいなくなる家庭だ。だいたい、そういうところの親たちはテレビゲームを買い与えている。自分たちの子供が、どういうゲームで遊んでいるかということが把握できないじょうきょうにあるのだ。


 それにある研究者がいうように15分くらいのゲームがいいでしょう、というがその具体的なゲームは言っていない。つまり、その研究者は知らないのだ。というより、そういうゲームは出ていないなし、まず、そんなゲームは売れない。


 その研究者の中にあるのはテレビゲーム=悪であり、この世からテレビゲームがなくなればいいという考えの持ち主でもある。


 ただ、これだけはいいたいのは、日本のテレビゲームソフトの技術力は、すでにハリウッドを凌駕するところまで来ている。昨年末あたりから話題となった映画「ベオウルフ」は、全編CGで作られた映画として評論家などで話題となったが、日本のテレビゲームは、すでにこの技術を4,5年前に確立していて実用化していたのだ。


 それが、当時のスクウェアが挑戦した映画「ファイナルファンタジー」なのだが、ストーリーが駄作で失敗した。ところが、その翌年あたりに「ポーラエクスプレス」をハリウッドが製作しヒットした。そのほとんどが、ファイナルファンタジーと似たような技術が使われていた。


 つまり、日本のテレビゲームがなくなってしまえば、事実上、デジタルコンテンツの稼ぎ頭の一角が崩れ、映像技術、グラフィック分野で世界からの撤退を余儀なくされる現状になるのだ。


 日本の場合、いつも反対の現象がおきることが多々ある。


 日本でヒットしなかった日本人アーティストが欧米で人気があったり、古くは、浮世絵が日本では評価されなかったものが、欧米の印象派に多大な影響を与え、日本よりも欧米の方が研究されているなどの矛盾を起こしている。


 ようするに日本人は、悪いというイメージを植えつけると、いいものをみようともしない。取り返しがつかなくなったときに「あー、なんて僕たちは、わたしたちは」みたいな状況を作り出しているのだ。


 日本のゲームもその手の中にあるといっていいかもしれない。


 私は、ゲーム賛成派である。テレビゲームを規制する前に、親がもっと子供たちに関心を示し、どんなゲームをやっているのか、自分も体験やできなくても子供のプレイを見るということも必要であり、頭から、だめというのははっきりいってしまえば反発を助長するだけ。


 極端な話し、親が真剣になりすぎて、テレビゲームソフトを子供たちに指定できるようになれば、おのずと問題となるゲームは消えていくのではないだろうか。