結論 第三文化へ向けて ③ | 想いつくまま雑論  (日本の歴史が培う文化思想原理の特殊性)第三の文化論

想いつくまま雑論  (日本の歴史が培う文化思想原理の特殊性)第三の文化論

何でも書こう
 (日本の歴史が培う文化思想原理の特殊性、)(哲学思想)(政治経済)などなど、

これに対して我が国は、少なくとも戦前までは、中心人格たる天皇を戴き、『異なりを認めながら一つを自覚する』社会を建国の理想、社会正義として、その具現化への絶ゆ間ぬ努力の道を歩んで来たのであります。


だから、我が国の二千有余の歴史の尊さは、決して、その歴史の長さや伝統にあるのではなく、この宇宙自然の原理に最もよく当てはまった国体を保持して来たこと、及び中心人格としての天皇を戴いて来たことにあるのであります。


確かに、我が国とてこの原理を二千年以上にわたって常に具現化していた訳ではありません。


例えば、上宮太子の時代はまさに国家分断の一大危機のただ中にありました。しかし推古天皇は上宮太子が上梓した『推古憲法』によって、武力に拠らずにこの原理への回帰と天皇への中心帰一を訴えました。


もしこの時、一見無力な天皇がいなければわが国はどうなっていたでしょうか。恐らく、我が国は曽我氏と物部氏を二大勢力とする二つの国に分かれ、その両国に他国が干渉することによって宗教戦争は凄惨を極め、ついには両国とも滅亡の途を辿っていったはずであります。


また明治天皇の時代は亜細亜が欧米列強による植民地と化し、中国は既に分裂国家に成りはてていたのであります。


残るは我が国と韓国など数カ国のみでありました。明治天皇は『誓文五ケ条』や『教育勅語』によって、日本国民が一丸となって欧米による植民地化の危機から国の独立を守ることを饗導(きょうどう)致しました。


もしこの時、公平無視なる立場の天皇が詔を発していなければ、我が国はどうなっていたでしょうか。当然、各藩の抗争に列強が干渉し、中国の如く分断国家となるか、ハワイの如く完全に一国の統治領となっていたことは火を見るより明らかであります。


このように、我が国が皇道の原理、、、、続く