共通の目標  ② | 想いつくまま雑論  (日本の歴史が培う文化思想原理の特殊性)第三の文化論

想いつくまま雑論  (日本の歴史が培う文化思想原理の特殊性)第三の文化論

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 (日本の歴史が培う文化思想原理の特殊性、)(哲学思想)(政治経済)などなど、

そのため、一人の人間のみならず、集団として共に生きる家族、会社、ひいては国家に於いても、人はただ集まっているだけではなく、ある事を成し遂げたいという願望や目的を持って集まって来たのであります。

従って、まず第一に、人がただの集まりでなく、家族、会社、国家という集まりをつくるとき、そこには、何のために生きるか、何を目的として生きるかという『目標』或いは、『理想』がなければならないのであります。

もっと端的に申しますと、集団としての人が人らしく生きようとするとき、そこには何らかの『共通の目標』が必要となるのであります。

確かに、家族には愛情という情理の絆があります。この愛情を終生保ち続けるのも一つの目標と言えましょう。

しかし、情理は心の働きであって、いつ如何なる時も不変であるとは限りません。心ほど移ろい易いものはないのです。

だから、たとえ家族であっても本当に人らしく生きるためには、その向かうべき方向、向かうべき処、則ち、生きる『目的』がありませんと、その家族は真の家族とは言えないのであります。

ましてや、情理だけでは済まぬ会社ともなればなおさらであります。内外の情勢、消費者の動向、自社の持てる能力を熟慮した上で、『我が社は今後このような目標に向かって進む』という方針を示し、その方法を準備する必要があります。

この目標があって始めて、良質の商品を提供して社会に貢献し、仕事を通じて社員に生き甲斐を与えるという社会的使命を果たすことが出来るのであります。

もし、この目標、則ち、『我が社の方針』がなければ会社はどうなるのでしょうか。ただ目先の利潤が目標と化し、『何でも良いから売りまくれ』、やれ『先月より売り上げが落ちた』、やれ『昨年同月より利潤率が下がった』・・・。これだけであります。やはり、人の集まる処、共通の目標が不可欠なのであります。

では国家に於いてはどうか。例えば、我が国の共通の目標は何だろう。終戦直後なら、とにかく経済の復興が共通の目標でありました。だが、生活体系に於ける目標が達成された今日、いつまでもこればかりとはまいりません。ところが、甚だゆゆしき事に、現在我が国民には共通の目標がないと言い切らざるを得ないのであります。

既存政党の多くは、、、、続く