上下本末の自覚と時処位即応 ③ | 想いつくまま雑論  (日本の歴史が培う文化思想原理の特殊性)第三の文化論

想いつくまま雑論  (日本の歴史が培う文化思想原理の特殊性)第三の文化論

何でも書こう
 (日本の歴史が培う文化思想原理の特殊性、)(哲学思想)(政治経済)などなど、

第一、数千年このかた、上下本末を自覚する社会を維持して来た我々日本人が、衰滅もせずに、現に祖先の血と汗の染み入るこの山河大地におるのは、一体どうゆう事なのでしょうか。

それは、我が国民が、目下の者が目上の者に仕えるだけの全体主義ではなく、目上の者を含めて、各々が上下本末を自覚し、時処位即応に振る舞うことを是として来たからに外ならないのであります。

あるいはまた、『上下本末の自覚は封建的な身分・階級の固定に繋がる』と言う者もおります。しかし考えて見てください。家族に於いて、子や孫はいつか成人し、その家で家族を設ける事もあれば独立した家を設けることもあるのであり、子が成長することを親が止められましょうか。

また会社に於いて新入社員が、『別に出世する気はないが、定年までがんばるぞ』とおもうこともあれば、『よし、俺もいつか会社を興してやる。それまではこの会社にいて経営のノウハウを学んでやるぞ』と野心に燃えることもあるのであり、上司がこの新入社員の人生計画を止められるのでしょうか。

このように、我が国の『和』の哲理に於ける上下本末の自覚とは、誰が上で誰が下か、誰が本で誰が末かということの自覚であって、『我無くして彼無し、彼無くして我無し』の真実相に最もよく即応した様相なのであります。

さて、そう致しますと、上下本末が力に於ける上下本末ではないなら、一体何を以て上下と云うのでしょうか。

また特に、最も上の者は何が故に『最も上』なのでしょうか。それは、第一に目標の明確化、第二に人心の掌握、第三に責任の所在に関わるのであります。


共通の目標     続く