芽生えなかった「阿武町愛」

 

 

田舎暮らしを選んで、過疎地に移住をする若者がぼちぼち増えているという、そのこと自体は、いいことなんじゃないかと、思っていた。
が、阿武町の事件でもって、だいぶ考え方が違ってきた。
「若者」と「過疎地の住民たち」の双方がウィンウィンになる、というハッピーな結果のほうが、もしかして多いとしても、やっぱり、落下傘のように降りてくる「誰か」を受け入れることには、「相当な危険」が伴う、のかもしれないんだな。
そして、私が理解できなかったのは…田口容疑者が、1年半も阿武町に住み、野菜を育てたりしておきながら、「阿武町愛」を育むことができなかったようである…という、そこのところだ。
そう、田口容疑者は、落下傘のように落ちてきた自分を受け入れ、格安の家賃で住まわせてくれている「阿武町」という存在に対して、愛が持てていなかったということは、間違いないことだろうと思ふ。
だから、こんな「仕打ち」ができたのだ。
どうしてなんだ…どうして、副町長が勤め先に押しかけてきたというくらいのことで、これだけの「仕返し」をしなければならなかったんだ。
そのときに、自分を受け入れてくれた阿武町の人たちの「顔」が、次々に浮かんだりはしなかった…のだろうか。
「幼稚だったから」といえば、ただそれだけで済む話だけれども、どうも理解できない部分が大きい。
「受け入れられていない」「自分には合わない」と思えば、1年半も住んではいなかったのではないだろうか。
住み続けていたからには、それなりに親切にしてもらっていたのではないだろうか。
感謝の気持ちというものは、なぜ、田口容疑者には芽生えなかったのだろうか。
もともとお金に執着があったところに、転がり込んできた大金に目がくらみ、わけがわからなくなった、というだけの話なのだろうか。
…結局のところ、この事件で残った教訓というのは「落下傘を受け入れるのは、リスクが伴う」という、それだろう。
「間違い」は、誰にでもある。役所にでもある。それを言えば、キリなどはない。
それをなぜ、「町に恩返しをするよいチャンス」というふうに、思えなかったのか。
単に本人の性格の問題なのか。
わからないなあ。