間違って相撲取りになってしまったレスラー

長く生きていると、たまには「いいニュース」というものもあるもので、白鵬引退を目にした瞬間、霧が晴れたような気持ちになった。
私は相撲取りとしての白鵬が大嫌い。
外国人だから?違うよ、相撲取りとしては見苦しいからだよ。

様式美を否定してしまえば、大相撲の存在意義はない

もうね、白鵬が品の無い行動を取って、横審に批判をされるたびに、イヤ~な気持ちになるという、それの繰り返しが、やっと終わる。
それが嬉しいんだ、私は。
私は、大相撲はスポーツだとは思っていない。
文化だと思うから、ああいう「無駄だらけの金のかかるシロモノ」が、残っていてもいいと思うのだ。
だから、様式美を守らなくなったら、相撲はスポーツになってしまうから、そうなれば存在意義がなくなる。
様式美がないなら、文化ではないから、スポーツとしてやるのであれば、いろんな無駄を省いて、もっともっと「利益と効率中心」にやるしかなくなり、そうなれば、大相撲の「魅力」というものは、失われると、思っている。
もしかすると白鵬は、いまだに、「なぜ相撲取りはガッツポーズをしてはいけないのか」を、理解していないのではないだろうか。
それがわからないまま、10何年も横綱をやっているというのも、すごいシュールなことだなあ、と思う。
「現役の力士」というのは、生身のヒトにあらず。
ヒトではないなら、喜んだり悲しんだりするはずはない。
ヒトではないから、相手との格闘(取り組み)をしても、ケンカにはならない。
ヒトではないから、体で稼いでも、恥にはならない。
ま白鵬という「大相撲界の癌」が消えることで、多くの人が「大相撲とはなんなのか」を思い出し、様式美の世界が復活してくれるといいなと、思っているのだけれど。