文化が嫌いな人たちが、政治をやると…
ラサール石井が、書いている。
安倍、菅、橋下、維新
うん、私も、安倍や菅の「反知性主義」と、維新のそれは、つながっている、同質のものである、という気がしている。ずっと。橋下徹が政治をやり始めたときに、すごく嫌な感じがしたのは、それも大きい。
あの人、文化・教養が嫌いでしょ。
自分が嫌いなだけならいいけれども、そういうものを公の場所から排除しようとして、そして今、いろいろな「一見無駄に見えるもの」が、削られてしまったようですよね、大阪では。
そしてですよ、橋下がもっとデカくて下品になったようなのが、安倍や菅というわけで、菅というのは、安倍よりも露骨に品がよくないわけですから、これから、日本全体が、大阪のように、寒々しい感じになっていくのかもしれません。
悲しいな。
文化・教養の香りがするものが「とにかく嫌いな人」って、いるんですよねえ、いるということ自体が、信じられない感じがするんですが…「文化」がなくなったら、人間というのは、ただのDNA運搬機ですよ。
理解できないから憎いのかも
それでいいんだという「一定の人たち」は、もっと積極的に「そういうものを憎んでいる」のかもしれないな、このラサールのエッセイを読んだら、そんな気もしてきました。理解できないから、憎いのかもしれないよね。
たぶんですけどね、「そういうものを理解する能力」というのは、ある程度若いうち、できれば子供のうちに身に着けなければ、大人になってからでは、無理なのかもしれないな、なんて。
そうそう、堀江貴文とかも、同じですよね、あの人、文化・教養は嫌いでしょ。
なんだろうね、やっぱり「理解する能力がない」のかもしれないね…だから、そういう人たちが権力を握ると、大変なことになり…あとには、寒い風景が広がるだけで、ペンペン草も生えない不毛の地、とか。