いろいろと厄介な感じ

ツイッターらへんでは、大西さんがアスペルガーなのではという噂も出始め、ええーっ、そんなこと、専門家でもないのに、憶測だけで言ってもいいのだろうかという気もするけれども、そういうことを言っている人たちは、大西さんにわりと同情的な人たちだったりするので、あれ?、みたいな。
大西さんには、アスペルガー当事者に特有の特徴がみられる、というのである…へー。
ともかく…そうであってもなくても、ご本人が「公表」をしていないのだから、「そうかもしれない」ということを前提に、「彼の言動」から差し引く必要は、今のところは、ないと、私は思うんですよね。
○○かもしれないから、大目に見よう、みたいなことは、現段階では、必要はないと思う。
もしそうだったとしても、本人が「そうなんです」と公表しない限りは、「大目に見る」ということは、適当ではないだろう。

「男の妬み」なのでは?

私はちょっと、「別の視点」から、今回のことを考え始めている。
それは、「男の嫉妬・妬み」みたいな。
太郎が10日の記者会見ではっきりと言ったように、大西さんは、次の衆院選の予定公認候補者には、なっていなかった。
太郎の話では、「次期参院選というお話で進めていた…」ということだから、太郎的には、大西つねきという人は、衆院選の候補リストには、入っていなかった、となる。
が、現状は、れいわでは次々と、次の衆院選候補者が決まり始めていた↓

この状況が、大西さんにとって、気持ちのいいものであるはずはない…ですよね。
いっぽう、木村さんや舩後さんは、「特定枠」を使って、参議院議員に比例当選しました。
もちろん、太郎が決めたことでしょう。
しかし、これが、大西さんから見たら「障害者だからって、特定枠で当選している」というふうに、見えた…かもしれませんよね。
だって大西さんって、2017の衆院選では、フェア党から小選挙区に出て5518票(当選の江田憲司は119280票)で大敗しており、そのあと2019参院選でれいわの比例から出て、個人票が19842票で5位、というわけです。

 

つまり…「選挙で思ったような票が稼げなくて、苦しい思いをしてきた人」とは、言えると思うんですよね。
だからこそ、木村さんや舩後さんへの「嫉妬とか妬み」は、あった、大いにあったんじゃないのかな、というのが私の見方です。
そしてその「思い」が、いつまでも次の衆院選の公認が得られないことに連れて、じわじわじわじわと、本人の中で醸成されていった…のではないのか。
それが、「リソースに余裕のない時には、命のリストラをすべきである」という考え方になり、それがついには、口をついて出るようになって、何度も繰り返すようになった…。
そのあたりが、真相ではないのかな、みたいな。

木村さんは、わかっていたのではないか

そして私は、特に木村さんは、そのことを敏感に感じておられたのではないか、という気がしますね。
木村さんと話をした翌日に、問題動画の再公開をしているというところ。
大西さんが「議員バッジをつけた木村さんたちに嫉妬しており、妬んでいた」「木村さんは、そのことを敏感に感じ取っており、あのような声明を出した」というふうに解釈すると、この間の流れが、すんなり理解できるんじゃないかと、私は、思うんですよね。
私も、半世紀以上生きてみて、よくわかったことがあるんですが、男の嫉妬って、すごい面倒なものなんですよ。
特に、自分よりも立場が上の女に対する嫉妬とかは、始末が悪い。
私は、大西さんがそういう人だとは、ぜんぜん思っていなかったけれども、木村さんと話をした翌日に、問題動画の再公開をしているという流れから見て、そういう人だったのかもしれないなあ、と思うに至ったのです。
それと、木村さん側の反応ですね。彼女は、「わかっていた」のではないか。
彼の嫉妬や妬みは、本当は、自分に向けられているんだ、ということを。