wonder

どうなっているのかまったくわからない須藤元気の処遇の件

立憲は、須藤元気の離党届を受理していなかったはずですが、いまだに、処分を決めているようでもなく。
もちろん、須藤側で自主的に辞職をして、議席を党に返してくれるという気配も、ゼロ。

これはもしかすると…前の記事で触れた国民民主との合併(新党結成による)のほうで、どうせ吸収するから、というつもりがあるのかもで…。
だから、立憲民主という党自体が、来月あたりにでもなくなるとしたならば、須藤の離党届を宙に浮かせたままでも別にいいや、ということなのかもしれませんが。
真相は、不明です。
離党届が宙に浮いている人が、いったい何をのんきなことを言っているんだと↓

やっぱ、この人に「常識」を期待するのは、無理筋というものなんでしょう。

いっぽう、れいわのほうでも、大西の件では、大騒ぎをしているというのに、須藤の件については、まったくのスルーで、支持者も含め、なんの問題も感じていない模様。
やはりここでも、「常識」が問われるんですよね。

なぜ、こういうことこそ「情緒的」だと指摘しないんだ、大西よ

「日本人は情緒的」というのは、こういうことを言うんだと、私は思うし、大西さんのようにちょっと外人ぽいというか、自分でも日本人離れしていると思っている人がいるんだから、そういうことこそ「情緒的だ」と言って、批判したらいいのにな、と思うんですが、なぜか、そうはぜんぜんなっていない。

「たぶん」帰国子女症候群で日本語オンチになっている大西さん↓

太郎と須藤の関係というのは、それこそもう、全部情緒でしょ。
筋から言ったら、絶対におかしな話なわけです。
おかしな話を、誰もおかしいと言わないのは、「情緒」のほうに、全員が絡め取られてしまっているからであって、ズルをしたということをわかっているのは、太郎1人だけですよ。
だから、この件については、太郎が一番悪いと、私は思っています。
ごちそうを前にして、どうしても手をつけずにはいられなかった、そういう太郎の「常識のなさ」「節操のなさ」が、いけないと、思うんですね。
そういうふうな姿勢で、やっていくのなら、それは浪花節党であり、ヤンキー精神だということです。
浪花節とヤンキー精神のあるところには、知性が宿る余地はありません。
だから、絶対に手を出すなと、最初から心配していたのにな…。