平和

大西が特別に悪人であるというわけではないが

なるほど、そういうことだったんですか。
だいたいの事情がわかりました。
大西さんご本人の謝罪と説明↓

なるほどね…「命の選別が政治家の仕事」、それは…語弊があるというか…なんだろうな。
「経済」のことを真剣に考え過ぎると、そういう言葉が出てきてしまうのかもしれないな…。

トリアージ

「命の選択」というのは、必要な場面は、どうしても出てきますね。
それは、例えばハリケーン・カトリーナ。
あのときには、実際に、医療スタッフによって、トリアージが行われたということです。
助かりそうにない患者を移送するよりは、助かりそうな人を移送するというふうに、優先順位をつけざるを得なかったのです。
それは、全員を移送する余裕がなかったから、ですね。
誰かがそれをやらねばならないとなったら、やっぱりやるんですよ。
「先着順」とかには、ならないんですね。
しかし…今回の大西氏のような、「経済を考えるゆえのトリアージ」というものは、そもそもの条件が違っている…何人を移送できるかとか、そういう切羽詰まった状況ではありません。
「経済」のためのトリアージというのは、これは、普通の人が受け入れられる範疇を越えた話ですし、もちろん、太郎の考え方とは、合わないはずですし、さらに…現実には行われていても、誰も口には出さないんですよ。
例えば、「みんなでコロナの免疫をつけよう政策」を採用したスウェーデン、そしてイギリスも、最初はそれをやろうとしたけれども、反対に遭って断念、ですけれども、とにかくその政策だと、「事実上の経済トリアージ」ですよね。
老人や病人は、どんどん犠牲になっていくということは、必至ですから。
しかし…そういうことは、誰も口には出さない。
本来は、スウェーデンのコロナ対策というのは、「経済的トリアージ」ということであって、大西さんと同じなんですよ。違いは、口に出すかどうか、というだけ。

太郎の仲間であるということは、「徹底した弱者救済主義である」ということ

う~ん、なんだろうなあ。
大西さん、私が思うには、ちょっと天狗になっていたところも、あったのかもしれないなあ。
若者の崇敬の対象になっている山本太郎の師匠である自分、そういうものに、慢心していたというところも、あるのかもしれない。
人は誰も、慢心の陥穽からは逃れられず、それは、どんなに知的な人でも、そうでしょう。
または大西さんは…そもそも、太郎の立党の精神とは、相容れない人なのかもしれない。
太郎は、徹底した弱者救済主義ですよね。
そして、経済政策は、そのために必要だ、となる。
大西さんは、どうやら違うみたい。
経済政策こそが、何よりも先に来る、と。だったら、太郎とは、本来的には合わないはずですね。
いずれ決裂するならば、ここで別れておいたほうがいい、というふうにも言えるかもしれませんよ。もしかすると。
こういうことについては、あの年齢になった人ならば、今から根本的に考え方を変えるということは、現実的には、なかなか、難しいと思うんですよね。
または、大西さんが、本気になって、太郎のほうに合わせる、というならば、それでもいいかもしれないけれど、いずれ、決裂するときが、来るんじゃないのかなあ…という気もしますね。

「普通程度にいい人」では務まらない

大西さんが、特別に悪い人だというふうには、私は思わないんですよ。
たぶん、普通程度にいい人なんだろうと、思いますよ。
ただ、太郎の仲間というのは、「普通程度にいい人」では、務まらない、という話なんですよね。そこが、難しいわけです。
徹底した弱者救済に、賛成できますか、ということで、賛成できないからといって、必ずしも、すごい悪人というわけではない。
ただ、太郎は、そうだから(徹底した弱者救済)、太郎についていくなら、徹底した弱者救済にならなければ、いずれ決裂する時が来る、という話でしょう。

太郎は(まだ)慢心していない

まあ、こういうこと↓が言えるうちは、まだ、慢心はしていないと、私は思いますね…。