沖縄

「学習性無力感」と国家ぐるみの民族差別の関係

このツイートを拝見した私は、以下のようにお願いしたところ、以下のようなお返事をいただきました。

「学習性無力感」というものについて、私のブログで紹介したいので、琉球人さんの側の言葉で、何か、倭人への説明を、していただけませんでしょうか。

無力感というのは、私にもありますが、実は、在日コリアンや、沖縄の方など、国家ぐるみのいじめを世代を超えて受けてきた方たちには、私とは違う「無力な雰囲気」を感じることが、多々ありました。
何か、違うんですね、ふわっとしている、というか。
つついたときに、ゴーンとつき返してくるということが、ない、みたいな。
説明しにくいんですが。

そして、私は、例えば韓国本土に住んでいるコリアンの方と接触したときや、日本以外の外国に住んでいるコリアンと接触したときには、全く違う感じを持ったのです。
その人たちは、ひるまないし、つつかれれば、ゴーンと返すのが当然だ、という、そんな感じ。
沖縄の人というのは、私が思うには、非常に上品なんですが…もともと上品なのが文化、という部分も、あるでしょうが、何かふわっとしたところがあって、それが、この「学習性無力感」というもので、説明できるのかもしれないな、と思いました。

在日コリアンの方の場合には、日本以外の場所に住んでいるコリアンとの接触によって、「学習性無力感」については、かなりの改善が期待できるのではないか、と私は思っています。
沖縄の方についても、たぶんそうで、海外で長く暮らしている琉球の二世とか三世とか、そういう人たちは、たぶんですが、「学習性無力感」というものは、もともと持っているとは、思えないので。