反戦デモは起きないのに
私が、アメリカの人種デモを「冷めた目」で見てしまうのは、「彼らの下」には、まだ、彼らに踏みつけにされている人が、たくさんいるのに、どこまでも自分たちのことしか考えていないんだな、と思うからである。沖縄県議選は玉城デニー知事を支える県政与党が過半数を維持。県民が「辺野古新設ノー」の意思表示を投票によって示したにも関わらず、菅官房長官は「理解が進んでいるのではないか」とし、安倍政権は中断していた建設工事を再開させるつもりです。 https://t.co/gwszpRmT8b #日刊ゲンダイDIGITAL
— 日刊ゲンダイ (@nikkan_gendai) June 9, 2020
Isn’t that racist? Kentucky governor vows to ‘prioritize’ free healthcare for African-Amerians https://t.co/TbrT5Of7Py
— RT (@RT_com) June 8, 2020
消えた反戦デモ
アメリカではもう、長いこと、「反戦デモ」が起こっていない。自分の国の軍隊が、他国の人たちを殺したり、他国での破壊行為をすることに「反対するデモ」というのが、1回も起こらないのだ。
実は、非常に小規模な「反戦デモ」なら、2016年ごろに1回あったと思うけれども。それは、右翼による反戦デモで、逆ではない。
あと、ほとんど話題にもならなかった反戦デモ…非常に小規模な…昨年あたりに、1回くらい見かけたような気がするが。
それが、黒人男性が警官に殺されると、わーっと、これだけの人が関心を持ち、怒り狂っているというのは、非常に「バランス的におかしなこと」ではないだろうか。
しかも、「他国」にまで、「追従デモ」が起こっているとか。
それよりも、中東などでの「自軍による戦争行為」をやめさせるほうが、どう考えても、重要だろうと、思うのだが。
さらに、沖縄のように、地元の人たちの反対を無視してまで新しい基地を作るとか、そういうことだって、「アメリカ人によるやめろデモ」が起きていても、おかしくはないのである。
けど、不思議なことに、実際に起きたのは「警察は黒人を殺すなデモ」である。
人間というのは、そういうものなのかもしれない。
しかし…アメリカ人がまっさきにやらなければならない「デモ」とは、「反戦デモ」のはずであるということは、私は、確信している。