断崖

「自分の人権」は、「他人の人権」と、セットである

基本の基本。
「他人の人権」がどうでもいいと言ってしまったら、「自分の人権」もどうでもいいと言っているのと同じであるということが、なぜ、わからないのか。
バカだな。

他人の人権を認めるからこそ、自分の人権を主張できるのである

人権というのは、みんなに等しくあるというふうに「認める」からこそ、「自分の人権も、守ってくれ」という要求をすることが、可能になるわけである。
その時点で「他人の人権はどうでもいい」となった場合には、「自分の人権も、どうでもいいです」と言っていることに、なるわけである。
普通のことですよ。
おじさんやおばさんが、この理屈が「わからない」というほうが、おかしいのである。

名誉や自由も、同じだよ

名誉についても、自由についても、同じですよ。
人権なんだから。
「他人の名誉はどうでもいい」「他人の言論の自由は、どうでもいい」
「自分のだけは守ってくれ」と言っても、それは、通りません。
通るわけがないでしょ。
「オレだけに好きなことを言わせろ」「オマエは言ってはダメ」とか、それは、有り得ないんです。

なぜ、普通のことを、普通にできない?

別に、会ったこともない他人の人権を、自分の命をかけても守れなんてことは、誰も言っていないわ。
普通にするべきだと、言っているんですよ。
なぜ、普通にできない。
誰かが、1時間殴られたと聞けば、「ひどい」「気の毒に」と思うのが、普通だろ。
いったいなぜ、そんな目にあったのか、誰が、そんなことをしたのかと、気になるだろ。
そういうときに、「どうでもいい」とか、「大したことじゃない」「内輪のもめごと」と言っているのが、普通ではないおじさんやおばさんだわ。
これまでの人生についての不満でいっぱいで、自分のことしか考えられなくなっている、非常に気の毒な方々。
沖縄の人が、なんの落ち度もないのに、沖縄の人だというだけで、ひどい目に遭っている、気の毒だとか、なんとかできないのだろうかと思うというのが、普通だろ。
在日コリアンは、生まれだけでもって、法的にも、実利的にも、不利な立場にある。
どうしてなんだろうとか、なんとかできないのだろうかと思うのが、普通だろ。
中東の特定の地域に住んでいるというだけで、いつアメリカ製のドローンが飛んできて、殺されるかわからないという人たちのことを、どうしてそんなひどいことに、なぜなんだ、どうにかできないのかと、思うほうが、普通だろ。
わけもわからず、目隠しをされて拉致をされた日本人の被害者たちが、早く帰れるようになるといいと思うのが、普通だろ。
他人の人権について、普通のことを、普通に思えないなら、自分の人権だって、無視されてもいいということなわけ。
自分の人権と、他人の人権というのは、最初から、セットなの。
だって、「相対的」なものなんですからね、「人権」というのは。
「他人」がいなければ、人権なんてものは、存在しないんです。

無人島に1人で住んでいる人には、人権は不要であり、逆も真なり

無人島に、自分1人だけで住んでいるのならば、人権という概念は、不要です。
無人島に自分1人だけで住んでいるわけではないのに、頭の中だけは、それと同じ状態になっているというのが、壊れたおじさんや、おばさんですよ。
気の毒ですね。

「党是」と合わないなら、さっさとやめてしまえ

そんなことなら、「人権」を標榜するような党には、入らなければいいのである。
当たり前。
「党是」と合わないのだから。
いいトシをして、信じられない頭の中身である。
さっさと、「自分党」というのを作って、「オレの人権だけを守るための社会を作るというのが、公約です」と言って、票を集めろや。
がんばれよ。

やはり、「世間知らずのボン」というのが、妥当な評価である

私は、亡父が60を過ぎたころのことを、思い出すと、ああいうふうではぜんぜんなかったということは、間違いないし、自慢の父ではまったくなかったけれども、あんなおかしな人とは、モノが違ったということは、間違いない。
疎開と赤貧に耐えた苦労人の父は、甘い人では、ぜんぜんなかった。
借金をすると、借りを作り、相手の言いなりになることになるから、たとえ身内であっても、親しい友人であっても、絶対に、借金をしてはいけない、そして、他人の借金の保証人になってもいけないということを、行動でもって示し、家訓として、次の世代に伝えた。
若いころから、兄弟の面倒をよく見て、自分の生活を切り詰めては、仕送りを続けた。
だから、死んでからは、いい兄だったと、言われた。
それを思うと、ああいうへんなとっつあん坊やというのは、「社会勉強」が足りなかったというふうに見るのが、最も妥当だろうと、思うよね。
できそこないの安倍晋三と、そっくりだわ。
安倍