
困った似非リベラルの驚異的な堕落ぶり
他人の人権に興味がない人は、リベラルではない。自分と自分の家族の人権にしか興味がないからこそ、「南京大虐殺なかった河村たかし」(人は急には変わらない~河村たかしの場合~)とも組めるのだし、河村たかしがOKなら、桜井誠とだって、組めるだろう。
桜井誠と組めるような人間だからこそ、卑劣なネトウヨHとも、急に「私の知り合い」に、なるわけである。
卑劣なネトウヨHが、「私の知り合い」であるならば、もう、誰とでも組めるだろう。
維新とでも、安倍晋三とでも、誰とでも、とにかく自分に都合が良ければ、誰とでも。
それでどこがリベラルなんだって、これっぽっちもリベラルではない。
すべては公認のため
だったら、自分に都合が悪ければ、鳩山由紀夫のことだって、急に悪しざまに言い始めるかもしれない。尽くしてやったのに、公認をくれなかった、などと言い出すに決まっている。
公認をもらいたいために何かをしてくれる誰かに、喜んで公認をくれる人など、いるはずがない。
公認というのは、「勝てそうな人間」に、与えるに、決まっているではないか。
公認をもらうためなら、共産でも、自民でも、減税日本でも、社民でも、鳩山新党でも、どこでもいいんだったら、維新でも、いいに決まっている。
そんな人を、もろ手を挙げて迎えてくれる政党などは、あるはずがないではないか。
そういう恥知らずは、自民に行けば「安倍総理に直接面談をしてもらえたんですかあ、よかったですねえ」と言い、減税日本に行けば、「河村さんのことは、昔から応援しています」と言い、大村新党でもできようものなら、「前から大村さんのことだけを応援していました」と言い、もしも維新から声がかかれば、橋下や松井にすり寄っていくに決まっている。
誘われれば、靖国にだって、一緒に参拝するだろう。
公認さえもらえれば、なんでもいいんだから。
そして、「学歴と職歴は、公表できません」と言い、誰にも相手にされないのだが、そしてそれは、当然の結果なのだが、「ひどい」などと思い、被害感情を丸出しにし始めるのである。
自分を差し置いて選ばれた誰かを、悪しざまに言い、「生まれがいいから」「代議士の甥だから」「うまく立ち回ったから」などと。
そして、自分のことは「お人よしすぎるから、いつも冷や飯を食らう」と思って、僻み根性が全開になっており、そうなるともう、本当に、誰も、相手にするわけはない。
そんな人をあてにしても、ロクなことにはなるはずはないからだ。
そして、自分で自分を「お人よし」というのは、どっかで聞いたセリフだが、そう、ネトウヨの常套句である。「日本人は、お人よしすぎる」と。
とことん、ネトウヨ的な心性の持ち主であると、言えるだろう。
ゆえに、何かが思い通りにならなかったとしたら、どう考えても、原因は自分にあるのであって、誰かに邪魔をされたから、ではないはずなのだが。
「事件に無関係な人」は、「謝罪文」などは書かない
自分にふるわれた暴力は、絶対に許さないが、他人が他人にふるう暴力は、許す。そもそも、「事件に無関係な人」は、「謝罪文」を書いて、被害者に送ったりはしない。
事件が、自分が食らわせたビンタから始まっているという場合に、それが「事件とは無関係な人」というふうに、なるわけはない。
不起訴になるということと、「事件とは無関係かどうか」ということは、別である。
そもそも事件とは本当に無関係な第三者であるならば、「起訴をするかしないか」すら、審査はされない。
被害届を出され、警察による捜査の結果、相応の責任があると見なされたから、起訴をするかしないかが、検討されたのである。
そして、不起訴になったということは、刑事罰を受けないというだけの話であって、それは、検察が、「裁判で勝てそうにないから」と思って、特定の人物を外したという意味である。
民事の結果がどうなったのかということと、「特定の事件関係者が事件とは無関係かどうか」ということは、別の話である。
加害側が女性で、被害者が男性の場合には、司法の場では、かなり割り引かれるという事実が、判明したというだけのことである。
その場合に、本当の第三者が、「あの人は事件とは無関係だ」と、繰り返したという場合には、それは、デマである。
事実ではないのだから。
その場合には、被害者に不利になるようなデマを拡散したとして、いずれ、被害者側から、責任を問われるということは、あるかもしれない。
私には、関係ないけれど。
とことん他人を妬む
拉致被害者の家族は、立場を利用して、いい思いをしすぎているなどと、的外れな批判を続ければ、当時者から、精神的苦痛の責任を、問われるかもしれない。規約違反でもリベラル?
他人を名指しで悪しざまに言いすぎて、挙句の果てには、規約違反で、ブログ記事を削除される。「迷惑ユーザー」として、目をつけられたということで、あとはどうなるかは、運営のサジ加減だろうから、知らないが。
何度言っても、「文化庁の定めた正しい引用方法」を使わず、出典を明記せず、枠で囲んだりもせず、やたらめったらに無断引用をしまくって、それでいいと思っている。
それのどこが、リベラルなのかって、それは、ネトウヨだろう。
断じてリベラルではない
これらのすべてを、「1人の人間」が、全部、やらかしているとしたら、その人は、本当に、他人の人権に対しては、徹底的に興味のない人間であり、誰も「あの人はリベラル」などと、思うはずはない。そして、それが、特定の政党に参加したことが原因であるならば、その政党に、そういう体質があるという、ことなのであろう。
世間は、そういうふうに、見るのである。
が、上記のすべてを、1人でやってのけるような、たまげた人なんていうのは、そうそういるものではないから、なるべくだったら、そんな人は、いないことを、願うけれども。