遠藤

ひがむ人、ひがまない人

ひがみ根性というのは、どこから来るのか知らないが、いつもいつも、自分が正しく評価されず、他人ばかりがひいきされていると思って、ひがんでいる人は、いるものである。
そういう人は、横目で他人のことを観察してばかりいて、肝心のことは、あまりやらない。
どんぐりの背比べというか、自分と横並びの人のことばかりを、気にして、自分よりもずーっと上の人や、ずーっと下の人のことは、視界には、入っていないのである。
だから、困っている人のことも、見えないし、自分が誰かに迷惑をかけているのかもしれないとか、みっともないことをしているのかもしれないということにも、気がつかなくなる。

遠藤保仁の場合

遠藤保仁というのは、サッカー選手だが、ひがんだまま、還暦を超えてしまったような、気の毒な人たちは、この人の爪の垢でも煎じて飲めばよいと思う。
遠藤というのは、客観的に見ても、飛び抜けて優れたセンタープレイヤーで、その武器は、芸術的なほどに正確なキック力と、チャンスを見出す人並み外れた能力、だった。
ガンバ大阪で、めきめきと頭角をあらわした遠藤は、2002年に、ジーコジャパンの日本代表に選出される。
が、なんと、遠藤は、代表選手の中で、1人だけ、2006ドイツW杯のピッチに立たせてもらえなかったという、気の毒な状態のまま、ベンチを温め続け、そのまま帰国することになったのである。
晴れ舞台を見せるために、わざわざドイツまで呼び寄せた奥さんも、一度も、ピッチでの夫の姿を見ることは、できなかった。
どうしてだったんだろう。
それは、監督のジーコの方針だった。
ジーコは、欧州でのプレー経験のある選手を、より信用していたのである。
遠藤と同じポジションで、ライバル的立場だった中村俊輔は、やはり正確なキックが売り物だが、欧州経験があった。
遠藤は、日本代表には珍しく、一貫して国内でのプレーを続けている選手である。
ジーコが、欧州経験を重視する以上は、遠藤のような選手が、ベンチになってしまうのは、仕方がないことだった。

淡々と質問をした遠藤

そして、遠藤は、ある日、ジーコに、直接聞きに行ったのだという。
「どうすれば、スタメンで使ってもらえるんですか」と。
彼は、激高することもなく、淡々と、ジーコに、たずねたのだという。
ジーコは、それに対し、はっきりとしたことは、言わなかったらしい。
が、誰が見ても、遠藤が使われないのは、欧州経験がないから、ジーコに信用されていないせいだということは、明らかだった。

自分がすべきことを、淡々と続けた遠藤

屈辱的なドイツW杯から帰っても、遠藤は、ひがまず、恨まなかった。
遠藤というのは、飄々とした性格で、そのぶん、ハングリー精神が足りないように見えたりもするが、わりと、運とか、時の流れに任せ、あまりあらがわない、というところがある。
遠藤は、自分がすべきことを、ひたすら、淡々と、続けたのである。
ひがまず、恨まず。
その後の遠藤の活躍は、みんなが知っているとおりである。
日本代表と言えば、遠藤、と言われるくらいになった。
監督が変われば、遠藤の重要性というものは、無視できなくなったのである。
今は、代表は退いたが、遠藤の打ち立てた代表としての記録は、ジーコが聞いたらのけぞるくらいのものに、なっているのである。
ジーコが、見る目がなかったということについては、今では、誰も、疑わないだろう。

ひがむ人が伸びない理由

ひがむ人は、伸びない。
「ひがむこと」に、エネルギーを使い果たしてしまって、肝心のことを、しなくなるからだ。
だから、負のスパイラルに入り込んで、次の時にも、また、選ばれない。
すると、またひがむ。
ひがむことに忙しくて、よりいっそう、努力をしなくなる。
すると、また選ばれない。
その繰り返し。
そして、そのまま還暦でも超えれば、粗大ゴミ状態になって、腐臭を放ち、若い者から、鼻をつままれるようになる、というわけである。

遠藤の「本当のすごさ」は、ひがまなかったことにある

遠藤の立場だったら、ひがんで、そのまま潰れてしまっていても、おかしくはなかっただろう。
遠藤のすごさというのは、プレーが芸術的だということ以上に、「負の感情にとらわれなかったこと」に、あるのかもしれない、と思うのだった。