命懸けで市議になった人

ハーヴェイ・ミルク
ハーヴェイ・ミルクという人は、ゲイを公言して初めて公職についたアメリカ人、ということで、さらに、劇的な暗殺事件によっても、有名である。

カメラ屋のおやじから、市議へ

彼の一生を描いた映画を、見たことがあるが、ミルクという人は、ユダヤ人でゲイだったので、普通に考えれば、ものすごい「ハンデ持ち」だった。
そして彼は、ゲイの多いサンフランシスコへ越してから、「カメラ屋のオヤジ」をやっていたわけなので、「政治で飯が食いたい」とか、そういうことは、まったく考えていなかったようなのだが、「成り行き」でもって、みんなのために、どんどん政治の世界に乗り出して行くというふうに、なっていったようである。
彼には、そういう能力があったので、周囲の人たちや、コミュニティから、「アンタがやってくれ」というふうに、推されたとか、ていよく押し付けられた、という感じだろう。
結局は、そういうのが、本当の「representative=代表者=議員」のありかただろう、と思う。
町内会の役員なんてものは、面倒くさくて、ワリに合わないから、「オレに任せろ」なんて、手を挙げる人は、滅多にいないし、誰もやりたがらないけれども、一番うまくできる誰かが、仕方がないから引き受ける、と。
そして、結局は、ほんのわずかな任期(1年と11カ月)を務めただけで、暗殺されてしまったのだが、あまりにも劇的な一生だったので、永遠に人の記憶に残ることになった。

政治で飯を食いたい人

だから、若いころから「政治で飯を食っていきたい」なんていうことを、まじめに考えていた人がいるなんて、ちょっと信じがたい感じが、するのだが、誰にも必要とされていないのに、勝手に「自分は政治に向いている」とか、「○○市は、オレの力を必要としている」などと、思っているという場合には、なんらかの健康上の問題が、あるのかもしれないし、政治家向きでは、ない、ということは、言えるだろう。
そして、他人から選んでもらえなかったら、小学校のときに学級委員になれなかった麻原彰晃と同じように、逆恨みをし、「オマエらがアホなせいや!」と逆切れしているような場合には、落とした人たちは、とりあえずは、最低限の義務を果たし、正しく落とした、ということになるのである。

地方の素封家の長男の困ったちゃん

河村たかしという人も、たぶん、それと似たようなところが、あるのかもしれない。
「自分こそが、総理大臣に向いている」とか、「日本の政治には、オレが必要だ」というふうに、勝手に信じているが、実際には、党内ですら、20人の賛同者も、集まらない、とか。
そして、たぶんだけれども、この「思い込み」は、「育ち」から、来ているのではないのだろうか。
自分の家柄からしたら、もっと扱いがよくてもいいはずだ、とか、いつも、横目で他人を見ては、アイツよりも、オレのほうが、などと思っている。
地方の素封家の長男というのは、大事にされすぎているから、そういう「勘違い」を持ったまま、社会に出て行って、思ったほどの扱いが受けられないと、逆恨みをしたり、被害者意識を持ってしまったり、するわけである。
河村の場合にも、そういうのが、あったのではないかという気がするけれども、ともかく、彼の場合には、「話題づくり」をするとか、目立つという才能は、そこそこあった。
とにかく目立てばいいんだとか、目立たなければおしまいだ、というのが、彼の座右の銘なんだろうなあ。
あとは、自分の演技力に任せる、と。
実力の伴わない人が、頼りにする手法である。
党内に、自分に総裁になってほしいと思っている人が、20人いない、ということを、逆手に取って、「しょぼんとしたかわいそうなおじさん」のふりをしているところを、TVに写させる、とか。
20人集まらなかったのは、誰かに妨害をされているせいではなくて、それまでの自分の努力なり、人柄が、「自分が思っているよりも正しく評価されたから」、ではないのだろうか。
目立てばいいんだとか、手柄は全部自分が取るというふうに思っている人は、他人からは、すぐにわかる。
そういう人のために、骨を惜しまず働いてくれるような、ボランティア精神にあふれた、というかマゾヒスティックな人というのは、あまり、いないだろう。

目立てば精神

河村たかし - Wikipedia
慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会の会員でもあり、慰安婦問題と南京事件に対しては日本政府の責任を否定する傾向にある。慰安婦問題に関しては2007年(平成19年)6月14日に歴史事実委員会の全面広告に賛同者として名を連ね、アメリカ合衆国下院121号決議の全面撤回を主張した。南京事件に関して衆議院議員時代の2006年には、政府に対し「いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問主意書」を提出。教科書などに「市民や捕虜の殺害」などが記載されている根拠や、政府見解を改めてただした。2009年(平成21年)9月15日の名古屋市議会定例会における一般質問でも「一般的な戦闘行為はあった。そういうものが誤解されて伝わっているのではないか。事件そのものについて日中友好のためにきちんと検証し直す必要がある」と答弁している。毎日新聞は、この発言により名古屋市との姉妹友好都市関係にある南京市との関係が懸念されていると報じた[28]。

ハリボテにも寄ってくるコバンザメ

私は、河村が、本当に、父親の話を信じて、「真実を明らかにしたいから、南京大虐殺の件に言及してきた」とは、思わない。
これも、目立つこと、話題になること、そしてついでに、右翼の支持を得ることが、目的ではないのだろうか。
そして、そんな河村が立ち上げた政党から、公認をもらいたいと思って、もみ手をしていたような人が、いるとしたら、その人は、それでいいと思っていた、ということになり、万が一、議席を得たとしたならば、河村の言うとおりに、賛成票でも反対票でも、投じていた、ということになるのである。
が、河村は、目立とう精神ばかりが優って、実力のないハリボテであるとしても、その河村のコバンザメになろうとして、もみ手をして公認を欲しがっていたような小物よりは、上手だった、とは言えるだろう。
そういうコバンザメは、河村がダメなら、また、別の誰かのコバンザメになろうと、思っているのかもしれないが、河村が見抜けるのであれば、ほかの誰だって、他人のコバンザメ根性くらいは、見抜くものである。