紫の花

目的を忘れた自称リベラルとその取り巻きは、退場すべし

他人の人権などに、意味があるとは思ってもいないくせに、勝手に「日本のリベラルの代表」を自認し、「それゆえ」に、「ネトウヨ」と闘っているふりをしている人とかが、いる。
それは、本末転倒な話であって、「ネトウヨに対するアンチ」であるから、「リベラル」であるとは、限らない。
または、「一部の暴力的な在日コリアン」に対し、寛容だからといって、その人が、リベラルな思想信条の持ち主であるという、わけでもない。
「リベラルであると思われたいため」に、ネトウヨに敵対するというのは、マッチポンプな話であって、本人が、自分の人権にしか興味のない人物であるならば、それは、「自分中心の人どうしの争い」でしか、ない。
オレの人権と、オマエの人権と、どっちが大事なのかという、そういう争いでしか、ない。

「オマエはもう、リベラルちゃうやろ」

日本のリベラルは、ほぼ、瀕死の状態であるから、そういう似非リベラルに対し、「オマエはリベラルちゃうやろ」と言って、ダメ出しをする人が、いない。
さらに、「受け皿」がないから、「自称リベラル」の周囲に集まっている人は、行き場がなくて、なんとなく、離れられない。
救いようのない状態である。

最重要課題は、「中間層」「無関心層」の取り込みである

そして、「ネトウヨに対するアンチ」を、ネトウヨと同じことをしながら続けるというのは、意味がないどころか、逆効果なのである。
もっと言えば、まじめなリベラルの人にとっては、迷惑極まりない話なのである。
問題は、ネトウヨではない。
「中間層」「無関心層」を、どっちが取り込むのか、ということが、最重要な、課題なのである。
ネトウヨと同じになっている自称リベラルのことを、本気で尊敬する「中間層」「無関心層」などは、いない。
ゆえに、どっちもどっちだと思われて、どっちも敬遠されるだけの話である。
この場合には、完全に、ネトウヨの勝ちである。

ネトウヨは勝っている

ネトウヨは、もともと、下品なのだから、「中間層」「無関心層」から嫌われるのは、当然である。
もともと嫌われているネトウヨが、もともとはそれほど嫌われていなかったはずのリベラルを、「中間層」「無関心層」から遠ざけたのであるから、ネトウヨの勝ちに決まっている。
ネトウヨが、最も嫌がることは、自分たちと同じやりかたでやり返されることでは、ない。
より多くの「中間層」「無関心層」を、政治信条の違う相手に奪われて、失うこと、なのである。
だから、「自分と同じ下品なおっさん」だとわかっていても、相手に、執拗に絡む。
やればやるほど、下品になるから、「中間層」「無関心層」からどんどん遠ざかる。
周囲に残っている人間は、それでもいいと思っている突飛な人たちだけであるから、それらは、「中間層」「無関心層」の勘定には入っていないから、どうでもいいと思っている。
この場合には、ネトウヨは、勝っている。
そして、ネトウヨが、なぜ、「自分と同じになってしまった下品なおっさん」の相手を「やめないのか」ということも、そういう理由があるから、なのである。
「専守防衛かどうか」なんて、誰も気にしていない。
ネトウヨと同じレベルになっている下品な人間かどうか、ということが、問題にされるのである。
「中間層」「無関心層」から、ネトウヨと同じと見なされても、自分の気が済むなら、それでいいというならば、それは、「政治信条とは無関係な自己満足」であり、正当な防衛をしているだとか、正義を行使しているだとか、そういう言い訳は、やめるべきである。

本当にネトウヨに勝つには、どこまでも相手をして、やり返すのではなくて、相手が一番嫌がることをするために、集中するしか、ないのである。
それは、より多くの「中間層」「無関心層」の支持を、取りつけることであって、そのときこそ、ネトウヨが、「ぐう」と言って、負けるとき、なのである。