悲愴感漂う「無駄なキリッ」への返事

よくわからない結果。
San Francisco mayor responds to Osaka severing sister-city relationship : International : News : The Hankyoreh
前の記事で書いたように(大阪市、米サンフランシスコと姉妹都市解消)、吉村市長が、一方的に「姉妹都市の解消通知」というのを、送りつけたらしいのだが…。
その「反応」みたいなのが、あったらしい。
これまでは、吉村さんの「要求」は、無視をされていたらしいのだが。
サンフランシスコ市長のロンドン・ブリードさんが、声明を発表したとか。
“One Mayor cannot unilaterally end a relationship that exists between the people of our two cities, especially one that has existed for over 60 years. In our eyes, the Sister City relationship between San Francisco and Osaka continues today through the connection of our people, and San Francisco looks forward to strengthening the bonds that tie our two great cities together.”
「1人の市長が、一方的に、2つの都市の人たちの間に存在している関係を終えるということは、できません、特に、60年以上続いている関係なのですから。
われわれの目には、サンフランシスコと大阪の間の姉妹都市の関係は、われわれ人々のコネクション間で継続します、そしてサンフランシスコは、素晴らしい2つの都市の絆を強めることを期待します」
…なにやら、ケムに巻かれたような「返事」であるのだが。
現実には、どうなるのか。
まあ…「終えることはできません」と言っているのは、「実際の付き合い」のことだろう。
送り付けられた「絶縁状」を、送り返してきていないということは、「公式」には、姉妹都市関係は、解消された、というふうに、見るしかない。
いっぽうが、「もうやらないからね」と言っているのだから、仕方がないだろう。
だからここでは、「上等だ、トチ狂ったオマエの絶縁状なんか、骨抜きにしてやるわ、あっはっは」みたいな、そういう感じだと思えば、いいのかもしれない。
…まあ、はっきり言って、むこうにしてみれば、「市長が変われば」、また、公式の関係のほうも、修復すればいい、みたいな、感じなのかもしれないな…。
吉村さんみたいな人とは、交渉ができないから、人が変わるのを待っていればいい、みたいな。どうせ、長くても数年だろうし、みたいな。
まあ、60年間続けてきたんだから、これからも、続くけど、途中で、2~3年間があくということは、あるかもしれないよね、とか。
だから、今は、そんなに騒ぐ必要もない、とか。
ブリードさんは、10月2日には、問題のチャイナタウンを訪れていたらしい↓
地元のチャイナタウンの支持のほうが、重要に決まっているんだから、そら、大阪市長が因縁をつけてきたって、相手にはしないだろ。
チャイナタウンには、しょっちゅう行ってるみたいよ↓

対処法

まね、2つのことを、考えるべきなんだよね。
  1. 慰安婦像第1号が建ったのは、「なぜ」だったのか。
  2. 慰安婦像が、世界中に建てられるようになったのは、「なぜ」なのか。
1も2も、基本的には、原因は、同じだわさ。
頭の中で、「宇宙戦艦ヤマトのテーマ」が、24時間流れっ放しになっているような、「ニッポンジン」たちが、「慰安婦は、自主的に売春をしていた売春婦だった」「または、現地の業者に騙された」「よって、大日本帝国は、何も悪くない」と、言い張ったから、ですよ。
言い張っているから、第1号ができ、そして、第1号ができたあとも、言い張ったから、世界中にできてしまったわけ。
普通の考え方だったら、第1号ができた時点で、言い張るのをやめて、事実を認め、しおらしくすれば、「世界中にできてしまう」ということには、ならなかったはずだから、「言い張る」というのは、戦略としても、下の下の下だし、道徳的にも、間違っていたわけよ。
そして、ここまで広がったらもう、止められないわけ。
そして、こうなったら、われわれ戦後世代の日本人としては、やることは、簡単。
そもそも、「現代の日本人」は、直接の加害者ではないわけだから、じいさんたちの罪を隠したり、庇ったりするということを、やめればいいわけ。
像の近くを通ったときには、「ああーお気の毒でした」「二度とあってはならない」と言って、普通に、手を合わせれば、いいわけよ。
それでいいわけ。
そういうことを続ければ、「あのころの日本人と、今の日本人とは、違うんだな」ということが、いつか、わかってもらえるようになるし、そもそも「像」というのは、「今の日本人」への侮辱が目的で建てられたということでは、ないわけ。
「言い張ってるニッポンジン」に対しては、「言い張るのはやめよ」という、そういう意味ですよ。
言い張るのをやめれば、問題はないし、実害もない。
「像」というのは、「日本という国と、日本人すべて」を侮辱している存在では、ない。
これがわからないと、なかなか、難しいだろう。

そっちは気にならないのか

私が不思議に思うのは、吉村さんという人の自己認識は、「愛国者」なのだろうが、「慰安婦像以外のこと」は、まったく気にならないのか、ということである。
内政干渉をするのは、よくない、そして、慰安婦像を撤去しろだの、市の所有物にするのはやめろだのという要求をするということは、内政干渉である。
内政干渉は、よくないのだが、どうせするなら
「日本の非戦闘員を狙った軍事攻撃を、正当化するような教育をするのはやめろ」と、
それも、要求したらどうなのかね。
私は、そっちのほうが、ぜんぜん気になるんだけど。
アメリカ人には、いつも言ってるんだけど、無視をされるか、原爆の写真を貼られるだけなんだけど、それでも、言うだけは、言う。
言わないと、始まらないと、思うから。
吉村さんは、「それ」は、気にならないのか…どうしてなんだ。

原因と結果の「因果関係」がわからないのは、致命的

前にも書いたけど、↓で「一瞬スッキリ」した結果というのは、
キリッ
基本的には

だったわけよ。
「一瞬スッキリするための代償」としては、見合わないと、私は、思う。
だから、当然のことだけど、「あのときのキリッ」と、「同じような行動」は、もう、しないほうがいいと思うのである。
ヤバいから、だよ。
「それとこれの間には、因果関係はない」と言う人がいたら、まあ、疲れているんだろうから、休んでくださいとしか、言いようがないけど。

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