まだクラバーの始まりも書いていないのに。
しかし身勝手極まりない人生を歩んできた人間性が、ここにもよく出ていると思う。
今日はクラブに行くつもりで全ての準備を整え家を出た。念入りに化粧をし髪を整え、裾がひらぐワンピースの下にはTバックの勝負下着を隠し、高いヒールを履いて。
そして今、帰宅すべく電車に乗っている。
朝の時点ではあれほど予定に組み込まれていたクラブに、今どうしても行く気になれない。
そしてふと思った。これがクラバーの終焉なんだと。ついに終焉を迎えてしまったんだと。
だからこそ放置していたブログを書こうと思い立って手が伸びた。
いま、ブログを書きながらも何を書いていいのか分からない。あれほどのクラブへの情熱が、ほんの今さっき終わりを迎えたのだ。すぐに言語化できるわけないのかもしれない。とにかく感情の赴くまま指を走らせようと思う。
クラブがなくなったら私はどうなるのか、いつも不安だった。私の人生で唯一生きていると体感できるもの、それがクラブだった。失えば同時に生をも失う気がしていた。だからこそこの、クラブに行かなくなる日を迎える事が怖かった。
ここでプライベートの話をしようと思う。
一言で表すのは不本意だけれども、記事にもしてないからしょうがない。私の人生はとてつもなく過酷だった。
一つあげるとしたら過去記事にした彼氏の事だが、今は別れている。それも最悪の終わり方だ。今は弁護士を介して元彼とやり取りをしている。後々記事にはするつもりだが、弁護士を介する案件というだけでも過酷さの一端は伝わるだろうか。
そしてこの過酷さは、根本の原因は親との関係性まで遡るが、クラブが一端を担っている。
クラブに出会ったことで私の人生は180度変わった。そしてそれによって多大な不幸がもたらされる結果となった。
クラバーの終焉を迎える前に問いたいことがある。
クラブに費やした今までは、なんの意味があったのか?
もたらす不幸よりも変え難いものを、クラブは私に与えたか?
今思う。
それはおそらく、なんの意味もなくそして意味を持った生の記憶だ。
私は自分の思う通りに、生きたいと思う通りに生きた。Aviciiを見るためにラスベガスに行き、理想のクラブを追い求めて世界を旅し、マイアミのICONで究極を見た。
あのときの私は確かに生きていた。
生の成功体験。
クラブが与えてくれたものはそれだ。
お金でもなく、社会的な地位や名誉でもなく、人からの承認でもなく、自分が決めた意思によって、行動によって、生は得られる事を知った。
そしてそれはこの先、クラブでなくとも実現し得るものだろう。
だからこれからも生きていける。
これは終焉というより、卒業なんだろう。
私はクラブに出会って、4年間もの間、ここまで自分勝手に生きれて、本当に幸せだった。
最後に、この記事のタイトルに修正を入れて終わりとしよう。
クラバーの終焉改め、
クラバーの卒業。
終。





