皆腹稲原」の呼び名の伝説。

 

二俣城の落城に纏わるお話です。

静岡県浜松市天竜区二俣町二俣1009-2

二俣城駐車場あり。トイレあり。自販機なし。

 

 

1572年

破竹の勢いの武田軍は

付近の城を次々に落城させ

二俣城に攻め込みます。

 

 

徳川軍には

孤立した二俣城・浜松城の兵だけでの戦となります。

 

 

家康は

二俣城を守る家臣・中根正照に

人質の交換をさせ二俣城を明け渡させるのでした。

 

しかし

城内の武士の中には

城を明け渡すことに抵抗するものもいました。

 

彼らは二俣城の北曲輪で

腹を切り死んでしまいます。

 

 

「皆腹を切った」その場所はやがて

「皆腹」と呼ばれ やがて

「稲原」と呼び変えられていったということです。

 

 

その北曲輪/稲原の場所が

この「旭ヶ丘神社」のある場所。

 

 

その後すぐに

家康により奪還された二俣城。

抵抗し切腹した武士の判断は非常にもったいないものでした。

 

 

 

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