采配 落合博満 中日ドラゴンズ前監督

ビジネスマンもプロ野球選手も、仕事を「戦い」や「闘い」にたとえれば、

自分のスキルを成熟させながら、3つの段階の戦いに直面することになる。

それは、自分、相手、数字だ。

学業を終えて社会に出たら、まずは業種ごとに仕事を覚え、戦力になっていかなければならない。

教わるべきことは教わり、自ら考えるべきことは考え、

早く仕事を任されるだけの力をつけようとしている段階は自分との闘いだ。

正しい方法論に則って努力すれば、ある程度まで力をつけることができる。

プロ野球選手で言えば、育成の場であるファームから勝負の場である一軍へ昇格し、

25人のメンバーに定着していく段階を指すのだろう。


半人前、一人前になれば、営業職なら外回りをして契約を取る。

それまでに教えられたこと、経験したことを元に成果を上げようとする段階では、

どうすれば相手を納得させられるか、信頼を勝ち取れるかなど、

相手のある戦いに身を置く。


プロ野球選手なら、どれだけ相手に嫌がられる選手になれるかを考えるのだ。


そして、営業成績でトップを取れるような実力をつけたり、

職場には欠かせないと思われる存在になれたら、

自分自身の中に「もっと効率のいいやり方はないか」、

「もっと業績を上げられないか」という欲が生まれる。

現状のままでは評価されなくなるという切迫感、

これで力を出し切ったとは思われたくないというプライド、

さらなる高みを見てみたいという向上心とも向き合いながら、

最終段階として数字と闘うことになる。


契約数アップ、開発時間の短縮、コストの削減――プロ野球選手ならば、打率、防御率など、

数字と闘えるようになれば本当の一人前、一流のプロフェッショナルということになる。

ただ、この“数字と闘う”は、一流のプロでも容易ではない。


毎シーズン、開幕前に「三冠王を獲ります」と宣言してプレーしてきた私でさえ、

数字との闘いに勝てなかった経験は何度かある。

だから、監督として「おまえも数字と闘える段階になったな」とは口が裂けても言えないものだ。


2011年のドラゴンズは打線が低調だった。

特に左右の主軸である森野将彦と和田一浩の調子がいっこうに上がらなかったことには、

ファンの皆さんもやきもきしたと思う。

彼らを間近で見ている立場から言えば、和田が不振に喘ぐかもしれないという想定はしていた。

2010年はセ・リーグの最優秀選手に選ばれたものの、

よりシンプルな打ち方を身につけようと新たな取り組みをしていたからだ。


和田のように実績を残している選手が、さらに高度な技術を習得しようとした場合、

そのプロセスにおいて以前のような成績を残せなくなるリスクはある。


それでも新たな段階に進もうとするか、現状のままでやっていこうとするか。

それは和田自身が判断することであり、私も口を挟むことはできない。

和田本人が決断した以上、それをサポートするために我慢も必要だと腹を括っていた。


やや予想外だったのは森野のほうだ。

前後の打者の不振によって「自分が打たなければ」と気負いすぎたか。

2011年から「飛ばない」と言われているボールを使用することになったが、

それを気にし過ぎて形を崩したか。どちらも遠因にはなったのかもしれないが、

私が感じた中で一番の原因は“数字と闘った”ことだと思う。


プロ野球の試合が行なわれる球場では、打席に立つ選手の打率、本塁打、

打点という主だった数字をオーロラビジョンに表示する。

開幕直後はともかく、1か月が過ぎても、2か月が過ぎても数字が伸びてこないと、

どうしても打席に入る際に気が滅入ってくる。


対戦相手も、はじめのうちは「森野がこのまま終わるわけがない」と思っているから、

場面によっては四球で勝負を避けたりするのだが、

次第にオーロラビジョンに表示されている数字を信用するようになってくるのだ。


つまり、一軍に昇格してきたばかりの投手まで、

「あの(高くない)打率なら、俺も森野さんを抑えられるんじゃないか」と考え、

思い切ったボールを投げてきたりする。

相手が大胆に攻めてくれば、当然、森野は対処にてこずるだろう。

そうした、さまざまな要素が悪循環となり、本当にわずかの違いなのだが、

打撃を小さくしてしまったという印象だ。


私も森野に「数字とは闘うな」と助言したが、

打席に向かう際にはどうしてもオーロラビジョンを見てしまうものだろう。

このように、数字とは厄介なものである。

自分が残している結果をただ表すだけ。

どんなに一生懸命に営業しても、契約を取れなければ「0」としか表せない。

数字ははっきりと現状を映し出してしまう。

それだけに数字と闘うのは苦しいのだが、そこは苦しさを噛み締めながら、自分で乗り越えていくしかない。


そして、数字と闘った経験のある者は、苦しむ後輩にタイミングを見計らって

「数字と闘えるようになったら一人前だ。でも、今は数字とは闘うな」と助言してやりたい。

最終段階での闘い、一流のプロフェッショナルの闘い、それが数字だ。

数字は自身の揺るぎない自信にもなるが、魔物にもなる。


それゆえ、スランプに陥った時には、数字の呪縛から解き放つ術も知らなければいけないのだ。