D〜673☆みお | D☆Days

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Dear's沖縄…SPL最南端の砦!!!
ここをなしにSPLは語れないっしょ!!!

こんにちは。
ブログ初投稿のミオです。
下川マネージャーがブログ書けってうるさいので投稿することになりました。

僕は最近、頭文字(イニシャル)Dにハマっていて1ヶ月おきぐらいに全話見返すぐらい好きです。

あのアニメを見ているとスポーツカーが欲しくて欲しくてたまらないのでそろそろ購入しようと思ってます。

そしていつかはこの沖縄で瀬長島最速と呼ばれるぐらいの走り屋になりたいです。

ちなみに僕は小学生の頃6年3組最速の走り屋で運動会では無敗を誇っていました。

今思い返せば6年の頃の運動会は激闘でした。
当時6年3組のアンカーを担っていた僕にはライバルがいて、そいつは6年2組のアンカーのヨウスケという人物でした。

ヨウスケは地区陸上の400mリレーでもアンカーです。
そして僕は持ち前の天性の瞬発力を活かしたスターターでした。

いくら陸上では仲間でも運動会でクラスが違えば憎っくきライバルです。ヨウスケの顔を見れば見るほど憎くキモく感じるぐらいバチバチしていました。

運動会当日・・
僕はまるで世界陸上に挑む選手の如くサロメチールを脚に塗りたくって今か今かと出番を待ち待機しました。

そして6年1組、6年2組、6年3組のアツいクラス対抗リレーが始まりました。

先行は僕のクラスの6年3組、続いて憎っくきライバルのヨウスケがいる6年2組、6年1組は激遅ぷんぷん丸でした。

この流れでアンカーの僕とヨウスケにバトンが回ってきました。

2mぐらい後ろにヨウスケ・・

意地で負けられない。
勝って女の子にもモテたい。
先生にも褒められたい。
お母さんにもロックマンのゲームソフトを買ってもらいたい。
後藤真希とも結婚したい。
様々な理由でこれで負けたら死ぬ勢いで走りました。

走っているとヨウスケの息づかいと観客の声援が鮮明に聞こえるほどの接戦です。
ヨウスケの息づかいまでも憎くかったです。

そして僕は遂に憎っくきヨウスケを振り切り1着でゴールししました。

負けたヨウスケのあの悔しそうな顔は今でも忘れられません。
たぶん一生忘れない。
ぷぷっ(笑)

そして天性の瞬発力を持たせて産んでくれたお母さんに感謝します。


っていう感謝する事は大切ですよってお話でした。