夜景
「これから行くから」とだけ言われて電話は切れました。
須藤さんの声は、妙にはしゃいでた記憶があります。
後で嫌というほど知ることになるのですが、水商売の業界は人事異動が速攻です。
「明日からね」
という上司の表情は、なぜか常に笑顔でした。
考える時間を与えない常套手段なのでしょうが、そんなことはどうでもいいという、かなり投げ遣りな気分ではありました。
それも今考えれば当然です。
数時間前に、完璧な言い訳を準備して退職の意を申し込み、受理されたと安心した直後にY県へ行くことが決まってしまったのです。
20代前半の若者が、突然この慣習を突きつけられて、気持ちの整理をできるはずもありません。
ですが、たかが飲み屋のバイト、そう腹を括ってしまえば身体の力も抜けていました。
平たく言うと、どうにでもなれという心境です。
この頃からそうですが、旅行するときは基本的に手ぶらです。
必要なものは現地調達、それが基本姿勢です。
ですからこのときも、小さい紙袋にTシャツと下着を3セット入れただけでした。ただ旅行のようなウキウキ支度ではなく、それさえも面倒くさい気分でつっこんだ記憶があります。
須藤さんはすぐに来ました。
「乗ってね」
と、外で待っていた私に声をかけてくれたのですが、私は内心を見透かされたくはなかったので、
「ありがとうございます」
と、丁重に頭を下げ助手席に乗り込んだのです。
そこから3~4時間ほどでしょうか。
高速と有料道路を乗り継ぎ、Y県へと向かったわけですが車中の会話が面白かったです。
須藤さんは関西出身で、普段は標準語で話すのですが、昔話をするときは少し関西弁が混じっていました。
10代のころの話が主だったのですが、それは当時の関西で最大の規模を誇った連合暴走族の、さらにそのなかでも武闘派集団の頭だった頃の話でしたが、目茶苦茶としか言いようがない話ばかりでした。
今から20数年前の関西、思い当たる方もいるかもしれません。
その頃の話です。
そしてもうひとつ、忘れられない会話があります。
須藤さんの昔話がひと区切りついた頃、私は尋ねました。
「ところで、これから行くお店の方って須藤さんとどういう関係なんですか?」
「僕の後輩なんだよ、内田君っていうんだけどね」
「どういう方なんですか?」
「うーん、あだ名がラリって言うんだよ」
「らり?」
「そう、常にラリッてるような奴だから」
カルチャーショックでした。
黙っちゃいましたよ、このときばかりは。
こうして私は、通称ラリ社長の下で修行時代の幕を開けるのでした。
向かっている先が風俗店とも知らずにです。
高速から見えるY県の夜景が綺麗だったな~(泣)
氷川
「はぁ~ひしてルンバ♪♪こひしてルンバぁ♪♪」
↑↑↑
別に意味はありません。
先ほどテレビでCDTVが流れていたのですが、「氷川きよし」さんの新曲が5位にランキングされていました。
「氷川きよし」さんの歌は分かりやすくてインパクトがあります。
このフレーズがずっと頭から離れません・・・。
この時間(午前2時)にもなると、こんなことで頭が一杯になります。
年齢を理由にすることは嫌いですが、やはり20代のような集中力の持続はありません。視力もずいぶん低下しました。
20代前半に「象の時間、ねずみの時間」という本を読んだのですが、それによると生物の寿命は体重の1/4乗に比例するそうです。その計算で人間の平均寿命を計算すると25歳くらいだそうで(たしかですけど)、オイオイもうすぐ死ぬのか?と思った記憶があります。
だから何?
と言われると、それまでなのですが、ルンバぁ♪が止まらない頭を正当化するには「もう死んでてもおかしくないから」級の理由が必要らしいです。
それにしてもこのアメブロ、他のブログも知らないのですが、機能が親切すぎて逆に手間がかかっています。
初心者なので当然なのですが、携帯で確認した場合に思ったように表示されないのが辛いです。
「改行」=「一段空白」になるようですが、文字の段落ちを考慮すると、ちょっといらない機能ですね。
カスタマイズできるのかな?工夫してみます。
で? 話の続きは?
すみません、また明日ということでm(_ _)m
今日はこれにて。
ルンバぁ♪
初夏
書きたいことはたくさんありますが、なにから書いてよいか、悩みました。
立ち位置がはっきりしないまま、収集がつかない話を書いても仕方がありません。
そこで、この業界に足を入れた頃のことから書いてみたいと思います。
それは今から8年前です。
私はS県某校の学生でした。
卒業まであと半年にも関わらず、公営ギャンブル場のアルバイトに明け暮れていた時期のことです。
この時点で当時の私の人間性がうかがいしれますが、諸事情でそのアルバイトを辞めるときの話でした。
店長は須藤さんという30代半ばの、童顔のわりにがっしりとした体系の人でした。
「そうか・・・。そういう事情なら仕方ないな」
「すみません、お世話になりました」
胃の辺りに痛みを感じながら、深々と頭を下げて私は言いました。
須藤さんが吐いたタバコの煙が長く、背中を通っていった緊張感を今でも忘れません。
「ま、頭上げなよ」
「・・・はい」
ゆっくりと須藤さんに向き直ると、意外にも満面の笑みでした。
ですが緊張感は消えません。
これほど怖い笑顔を見たのも初めてでした。
須藤さんは笑顔を崩すこともなく、
「ところでさ、俺の知り合いがY県で飲み屋をやっているんだけど、短期でいいからって人、募集してるんだよ。どう?給与もいいって言うし、時間も夕方から、住み込みOKだから貯金もできるんじゃないの?」
「・・・」
「だからさ、もうすぐ夏休みでしょ?暇でしょ?貯金したいでしょ?」
「・・・はあ」
ずいぶん昔「NOと言えない日本人」という本がベストセラーになりましたが、須藤さんは「NOと言わせない日本人」の代表的な人でした。
そして須藤さんにとっては
「・・・はあ」=「YES」だったようで、
「さすが!話が早いね。いつから?明日からOK?」
なにがさすがなのかまったく理解できませんが、有無はありません。有があるだけです。
苦笑いするしかありませんでした。
当時、職場で須藤さんに首を横に振れる人はいなかったのです。
末端のスタッフだった私は、なぜかこの須藤さんに気に入られていたのですが、その理由はいまだにわかりません。
後日、一度だけ訊いたことがあるのですが、「お前は開き直れるから」とだけ言われました。
わけがわかりません。
とにかく、私は須藤さんがお気に召している開き直りの状態ではありました。
記憶が曖昧ですが、タバコすら吸っていたかもしれません。
「じゃ、あとで電話するから」
とだけ言われ、肩をポンポンと軽く叩かれて店を後にしたのですが、しばらくは苦笑いのままでした。
原チャリで無意味に市内を一周して帰ったことを覚えています。
さて、長々となってきましたのでここで一旦区切ります。
須藤さんいわく明日という事でしたが、正確にはその数時間後には、私は須藤さんの車の中でY県へと向かっているのでした。