CLUB  Sea-SideファンクラブNews NO.331  2019/09/2

 

               Sea-Sideの仲間達と神崎造船鉄工所、神埼弘人のファン仲間達に贈ります。

今日は私と神奈川海難救助隊について書きます。

神奈川海難救助隊は藤沢警察署が今から52年前に創設された、海の救助隊です。

YOKOHAMAに移転して2代目の隊長さん。現在隊員30名、女性隊員も海技1級持ちも2名居ります。      

私も10年以上に成りますが2級です。

あの関東東北大震災では12回の救助活動で行きました。トラック、ユニック、重機持参土木工事、街の道路残材片付け、

学校の片付け、家屋床下のヘドロ除去、海岸の土木工事、牡蠣の貝殻整理、真冬、真夏の寒暑の時も野宿、自営でした。

若かったから出来ました。震災から5年目、石巻市の追悼式に参列、献花、榊の奉納をして来ました。

津波の恐ろしさを皆見しました。地盤の沈下に町が有って、誰も居ません。

家も庭木もペットも人間も全ての物を海の底に引きずり込みます。

大川小学校では生徒達60名、先生も津波の犠牲です。

大川小学校には救助隊から献花台、焼香台を寄贈しました。

警察、消防、自衛隊、漁師達が何回も捜索をしましたが見つかりませんでした。

それでも、父兄達家族たちは諦めることは出来ません。私たちが救助隊と知って捜索を依頼されました、大型のゴムボートを持参魚探機械取付け2回の捜索をしましたが残念ながら見つかりませんでした。悔しい、悲しい、残念至極でした。

父兄達、子供達の心を癒すために、シャボン玉、日本一兄弟、杉山兄弟も二日間のボランティアをしました。

隊員の杉山さんの従兄弟です。

現在、5~6年前から、隊艇=のまかぜ=で月2回の海洋プラ、ペットボトル、ビニール袋

材木等の浮遊物回収をしています。時には、国交省の船べいくりーん、海上保安庁合同作業も有ります。また、中学生たちに海の学習体験レッスンも、海の無い山梨県の少年少女の海から見たYOKOHA体験もします。

海洋プラスチック製品の回収は微々たる量ですが、以前からやっています。

プラスチックは細分化され、魚、貝類が食べます、その魚貝類を人間が食べます。

孫たちの時代は、どんな子供達が生まれるのか、恐ろしい時代になる。

2019-7-7日海の日に国交省から、表彰状を頂きました。

政府もやっと動き出した。日本海側の各県は日本海に流れ着くプラスチック製品回収予算は計り知れない。大陸諸国の製品廃棄物は日本に漂着します。

あの時、東北各震災地のファン達から電話を貰った、携帯電話は繋がらない、名前が判らない、多分黒電、青電です、そこには途方に暮れたファン達が居た、水没した家、逃げた山、如何したものか、お母さんはどうした?判らない、

多分流されたかも知れない!!

津波に流された。現実の響きだ!! 頭の中の理解できない言葉。

我が息子KAT-TUNの亀梨君、神崎弘人君のファン達、造船所に来て、恋の船に乗って、

騒いで、楽しんで、誕生日会に来て騒いだ少女、奥さん達も津波に沢山持って逝かれた。

新聞にも同姓同名が掲載されて、こんな辛い、悲しい、淋しい事が有る。

何故、私が!!  何故だ!! 自問自答が何年も続いた。

この造船所に居るから、こんな目に合うのだ。

毎年、毎年311日には耐えられない事だ。涙がボロボロです。

亀梨君が  ”ユメより亀“に来た時、二人の話では、その辛い話をしました。

それがあの写真です。

もう、耐えられない、全部弘人君に返す、全部弘人君のファンです、君はLIVEで沢山の震災に遭った、そして津波で飲まれた、流されたファン達の想いを背負って歌って欲しい!!

毎年、毎年忘れようとしても、忘れられない記憶、あの世迄持って往きます。

この造船所に居る宿命です。

神奈川海難救助隊の仲間になって本当に良かった、津波の恐ろしい東北に何回も行って沢山の事を学んだ。神崎弘人君の流されて亡くなったファン達の想いも理解できた。

行く度にて合わせ冥福を祈る事が出来た、あの世で会おうね。

YOKOHAMA神崎造船鉄工所から、全国、世界中のハイフーンの仲間達に沢山の愛、幸せ、恋を贈ります。 

 神埼弘人。松田宏。