以前、日本最大手スーパーの常務に
「二人ですき焼き屋でもやるか」
と提案したときのことをお話ししました。
「いいですね」
と乗ってきた彼に、
「ん? いや、やっぱり君とはできないな」
と私。
「どうして?」
「だって君は今、頭の中で『ナントカ牛の霜降り肉』のことを考えただろう」
「ええ、もちろん」
「今の人は『牛肉は赤身でなくちゃ気持ちが悪い』と言うんだぜ。君と二人ですき焼き屋やったら、お客さん来ないよ……」
食べ物に対して時代が求めるものは、どんどん変化しています
また、地域によっても食べ物の評価というのはまったく違います
今回は牛肉を題材に、そのあたりのことをつらつらと考えてみたいと思います
牛肉に関しては、私はもっぱら赤身好きです
家族が霜降りを食べていても、私は牛の脚を輪切りにした、真ん中に骨の残るラウンドステーキと昔から決まっていました
値段にすると霜降りの3分の1くらいのものですが、赤身のラウンドステーキでなければ肉の味がしないのです
これは20歳の頃からしばらくアメリカで生活していた影響かもしれません
アメリカでは牛肉すなわち赤身です
これも以前お話ししましたが、アメリカ人に霜降りをご馳走しても
「こんな脂ばかりで味のしない肉に高いお金を払うなんて、君たち日本人は馬鹿じゃないのか」
と言うくらい
ところが、赤身好きという点では全員一致のアメリカでも、肉の部位に対する評価は地域によってまったく異なっています
たとえば私が遊学していた当時、ニューヨークあたりで最も好まれる肉はフィレミニヨンでした
Tボーンステーキの小さいところ、日本ではヒレと呼ばれているこの部位が、いちばん柔らかく、いちばん上品で、いちばん高価な肉とされていました
しかしそれはアメリカ東部での話
南部でのフィレミニヨンの評価は、なんと
「ああ、犬の餌ね」
というものです。
これは相当な違いです
なぜそうなのか? 地域差としか答えようがありません
その一方で、アメリカ人がこぞって高く評価する産地もあります
ネブラスカです
アメリカ人はネブラスカ産の牛肉が好きで、
「ネブラスカビーフのステーキはバターナイフでも切れる」
などと言います
もちろんこれは霜降りで柔らかいということではなく、赤身だけど柔らかいということですね
ただ、これには熟成という要素が大きく影響しているように、私には思われます
特定の産地の牛がうまいというよりも、その産地における肉の熟成技術が高いということではないかと
熟成というのは、ある程度の時間、風にさらして自然に組織が分解されるのを待つことです
そうすることで発酵が進み、アミノ酸が増して肉がおいしくなるのです
ただし温度や湿度にも影響されるため見極めが難しく、タイミングを逃すと単なる腐った肉になってしまいます
肉食の歴史が長い欧米では、その見極めも含めて、肉を熟成させる技術が日本よりはるかに進んでいるのです
とはいえ、日本にも肉を扱う名人はいます
たとえば私が親しくしている、神奈川県藤沢市にある肉屋のご主人
彼は頑固一徹で、牛肉一筋で生きてきた人です
「私は雄の牛は50年間触ったことがありません」
と自ら言うように、扱うのは雌牛だけ
私の知るかぎり、肉の目利きとしてはナンバーワンだろうと思います。
都内の有名レストランの多くが彼の店から牛肉を仕入れています
ある日その店を訪ね、熟成させた肉をご主人が処理する作業を近くで見ていたら、おいしそうな肉が目に留まりました
「これは何なの?」
と聞くと
「カレー用です」
と言うので、2キロほど分けてもらい、家に帰ってさっそくカレーを作ることにしました
1キロ2500円という、ハンバーグにする肉より安い値段の肉ですが、塩コショウをして炒めたところ、これがあまりにもおいしそう
そこで、煮込まなければ硬いだろうと思いながらも一口食べてみたところ、実に、目が覚めるほどうまいのです
つまみ食いが止まらなくなり、カレーの肉が足りなくなってしまいました
これはすごいと思った私は、その肉を東京一といわれる焼き肉屋に持っていき、オーナーに
「焼いて食べてみてください。評価はどうですか」
と聞いてみました
オーナーの答えは
「いい肉ですね。1キロ7000円か8000円ではないでしょうか」
私が
「いや、こういう事情で、1キロ2500円で買ってきたんです」
と言うと彼もびっくりして、ぜひ私にも買ってきてくださいと💦💦
それで藤沢のご主人に頼んで、また少し分けてもらった次第
しかしカレー用の肉を2回も買った私が、まさかそれを焼いたりビーフカツにしたり(これがまた、こよなくおいしいのです)しているとは、肉屋のご主人は想像もしていないでしょう
これもやはり、牛肉に対する価値観の違いに関する話といえます
価値観は人それぞれ
霜降り肉をおいしいと言って食べる人は今でもたくさんいますし、その人がおいしいと思えばそれでいいのです
ただ、もっとおいしい肉を食べていないから、慣れたものをおいしいと感じているだけなのかもしれません
慣れというのは「うまいもの」に関する非常に重要な要素ですから
牛肉を題材にとりとめもなくお話ししてきましたが、ことほどさように「うまい」という感覚は多彩で深いものなのです