clubbiのブログ
  • 13Apr
    • それにしてもこの世の苦しみの堪え難きかな。

      どんな因果で私たちはこのような苦しみを課せられるのか。煩悩即菩提苦しみの対極にそれ以上の楽しみありやない私は断言するそれはない。ないということは生きていることそのものがそれなのだ。

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      永遠とは死ぬときに有る在る或るそれとも別の何か

      生き続けると言うこと今お念仏今死んで永遠の生を得ると故人は考えたが私は想は思えないのだあるから永遠を他方に探す永遠とは今死ぬことと生き続けることの両極端の何方かを選べばそれで事足りぬるをぞおかしけれ。犯す。丘す。冒す。侵す。置かす。おかす。置くを過ぐ。つまり何もしないで座して貪りぬ。けり。ける。けろ。や。居った髷。

    • 小泉義之さんは言う。蓋然的な推量を疑えか。神のみが考察の対象となる

      憂き世と浮世と世間と真実世界。真実世界とはこの世が阿呆だと言っているに過ぎない。では真に真実とは有るのか。確かに判決で事実を確認したので事実に相違ないとぞのたまいき。それは有る。しかし、そんなものはどうでもいい。のだ。生きている意味に照らせばそんなものは取るに足らないことなのだ。何故生きているのか。なぜ死にたくないのか。だから、生き延びてきたし、無くならない。あるとは有るとは在るとは、なにかが見えること。何かを求めること。何かが催促すること。これだ。これ以外は、縁起とか、空とか、食うだ。蓋然的とは確定できない何かを差し当たって、取り敢えず想定してその上を歩くこと。薄氷を踏むことだ。蓋然的に生きるつまり確率的に生きる。多々ある選択肢のなかで、どれか突飛もないものを選んでみるからひょとすると生き残る。やはり生き残るとは蓋然性の最も過少なものを選ぶということそうすると保身的な中村などの忖度組。やりたいことをやめて持続を選ぶ。低い山を延々と伸べる。それとも峻厳な山を構築する。たれもが選ばなかった道?未知?満ち?に駆ける。走ってけだ。確立の低いものを選ぶように私たちは時限爆弾を背負わされたのだ。

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      などか どこかに うれいあるを あやしむ とぞ あはれなりぬむ

      これは中東かイタリア。イタリアの北はフランスでその北はゲルマンとかけるんだ。憂いとは何だ何かを積み残している不安。先へ行けない後ずさり。それは蟻地獄。そういえば砂の女というのがあったなあ。あべこうぼう。 東京府で生まれ、満洲で少年期を過ごす。高校時代からリルケとハイデッガーに傾倒していたが、戦後の復興期にさまざまな芸術運動に積極的に参加し、ルポルタージュの方法を身につけるなど作品の幅を広げ、三島由紀夫らとともに第二次戦後派の作家とされた。あべぼうこうかあ。女のありじごくに沈んでいくおとこのありさまが滑稽でたのもしくあった。つまり、性。サガ。性からはだれも脱出できないという筋書きだ。然し、憂いとは、一時に二つを思う事。思うではなく想うだ。思うは過去とか今であり、想うは将来だ。未来だ。未来を想うとは可塑性に駆けるという事。×。掛ける。書ける。懸ける。賭博だ。試行錯誤だ。トライだ。試験だ。挑戦だ。機会だ。チャンスだ。リスクだ。リスクテイキングだ。ということは永遠か。死にたくないという事。死にたくはない。しかし、生き続けるのも厄介だ。四季に任せようとぞこけんはのたまいき。川の流れは絶えずして而も元の水に在らず。 月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり。   舟の上に生涯をうかべ、馬の口をとらえて老を迎うる者は、   日々旅にして旅を栖(すみか)とす。ええいかものちょうめいとそのむこうのないようである道あしるかもしれない長命?町名?松山市どいだようごかもがわやまごえかわごえはしんだ

    • 声字実相義を読む

      「帰趣の本は名教にあらざれば立せず。名教の興りは声字にあらざれば成せず。声字分明にして実相顕わる」「五大に皆響きあり。十界に言語を具す。六塵は悉く文字なり。法身は是れ実相なり」音楽を聴いている。体を揺らして多少音階がずれるにんも在れば、姿勢を正してきちんと楽譜を辿るひともいる。巧く弾こうとせねば楽しく体がスウィングでも金メダルを意識すると体が硬直。でもノーミスで高得点さて得点を気にするのはおあずけしそうか。此処は我慢して後で高得点。それよりは今を楽しんであとはのとなれやまとなでしこ生き残るためには思慮深くなくてはならない。楽しむためには思索や企画や悪巧みを捨てねばならない。二者択一やはりなだらかでながいやまか、聳え立つ峰か今日、ドクトルジバコを流していた。ラーラはららのテーマともなった女性。どうも画中、ラーラは我が娘のために自分を犠牲にする。というより我が子を自分より優先するのだ。ジバコ男は自分より愛する女を優先する。女は娘を優先する。これは遺伝子か。思慮深いことか。彼も彼女も彼等はどうように暫く躊躇う。躊躇うとは溜め嫌う。いちおう思慮に走るのだ。思慮とは策略。陰謀。お預けだ。おあずけとは人間が犬の調教で最初に行う馬鹿げたトリックだ。自分と犬の両方を値踏みに掛ける。当然、答えは最初から決まっている。自分が勝つために一時他人のふりをする。他人の振りとは世間体を煙に巻く事。自分を消し去ってやがて保身に帰る。しかし何を保身するのか。彼女か。我が子か。ロシア革命。過酷な時代にはもろもろのものが露呈した。しかし平和な時代には全てかかくれんぼ。おとうさん。僕の帽子は再犯帽子

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      何故生きてんだろうね、尾崎の言うようにしたいことのため、出会いのお片付け

      アーア、今日なんかお参りがだれも来ないよ。県職員が遊びまくってコロナが毎日三十人出たよ。親分がかねはらって子分を逃がしたよみたいな座頭一が嫌うセリフよね。さて、なんで生きているのか。そんなことは15の夜で終わった筈なのに63の夜にアタックド。昔なら映像がない世紀だから、ミャンマー人とお祈りしたとか、東日本震災の福島第一原発事故賠償訴訟勃発とか、翔子さんとガッツしたよとか、色々な人生とか考えたよとか、えひめ丸と一緒に冷水に沈んでみたよとか、阪神震災の長田で浅野と読経していっしょに焼けてみようとしたとか、言葉で索引して引起して思い出に浸るところが、映像が一気に一挙に大挙して思い出で私を圧倒する。で、今年を既に振り返ると、自分が生きているのか、無理矢理生かされているというか、課題を押しつけられているのかsmで言えばエムを生きているということになるのか。そういえば、おまえはもっと自己主張しろやとフィーメイルに罵倒されたことを思い出す。気骨のない人間だった私は今も被害者を生きているのか。というわけで、打って出なければどんどん輪廻に巻き込まれるし、打って出るともっともっと課題が増えて雪だるまのように肥満だなあ。あれっ。

  • 11Apr
    • 愛媛県職員約30人が送別会 県は「ルール順守」と説明4/8NHKの画像

      愛媛県職員約30人が送別会 県は「ルール順守」と説明4/8NHK

       県の市町振興課職員30人前後が参加した送別会が3月24日夜に松山市の道後温泉の旅館で開かれたとの一部報道で発覚。県が調査したところ、20人超の会食が3月23、24の両日で計9件あった。さらに、県内で過去最多の59人の新規感染を記録して松山市の繁華街の飲食店に営業時間短縮を要請する方針を示した25日以降にも7件を確認。参加人数の最多は23日の45人で、24日に38人、26日に33人が参加した送別会があった。送別会の自粛を呼びかける立場の人事課や保健福祉の推進に当たる保健福祉課なども開いていた。 これで職員は知事に守られてまた忖度する。忖度のための知事の策略としか思えないような奇怪な事件。職員はおとがめなし。か。これなら本質的にミャンマーと同じだ。民は殺人されないからましだが、この待遇の違いは何だ。民間ならとっくに潰れている悪態。やはり役人天国はどこの国にもある。民間人よ。みんな、宴会辞めてるよねー。苦しいよねー。若者もこれでどんどん遊ぶでしょ。歯止めなき中村県政。家から出るなとおらぶ誰かはどうする。試食院はしなかったのかねー。県の市町振興課職員30人前後が参加した送別会が3月24日夜に松山市の道後温泉の旅館で開かれたとの一部報道で発覚。県が調査したところ、20人超の会食が3月23、24の両日で計9件あった。さらに、県内で過去最多の59人の新規感染を記録して松山市の繁華街の飲食店に営業時間短縮を要請する方針を示した25日以降にも7件を確認。参加人数の最多は23日の45人で、24日に38人、26日に33人が参加した送別会があった。送別会の自粛を呼びかける立場の人事課や保健福祉の推進に当たる保健福祉課なども開いて県の市町振興課職員30人前後が参加した送別会が3月24日夜に松山市の道後温泉の旅館で開かれたとの一部報道で発覚。県が調査したところ、20人超の会食が3月23、24の両日で計9件あった。さらに、県内で過去最多の59人の新規感染を記録して松山市の繁華街の飲食店に営業時間短縮を要請する方針を示した25日以降にも7件を確認。参加人数の最多は23日の45人で、24日に38人、26日に33人が参加した送別会があった。送別会の自粛を呼びかける立場の人事課や保健福祉の推進に当たる保健福祉課なども開いていた。愛媛県職員、自粛要請中に20人超の送別会16件 知事給与返納県の市町振興課職員30人前後が参加した送別会が3月24日夜に松山市の道後温泉の旅館で開かれたとの一部報道で発覚。県が調査したところ、20人超の会食が3月23、24の両日で計9件あった。さらに、県内で過去最多の59人の新規感染を記録して松山市の繁華街の飲食店に営業時間短縮を要請する方針を示した25日以降にも7件を確認。参加人数の最多は23日の45人で、24日に38人、26日に33人が参加した送別会があった。送別会の自粛を呼びかける立場の人事課や保健福祉の推進に当たる保健福祉課なども開いていた。県の市町振興課職員30人前後が参加した送別会が3月24日夜に松山市の道後温泉の旅館で開かれたとの一部報道で発覚。県が調査したところ、20人超の会食が3月23、24の両日で計9件あった。さらに、県内で過去最多の59人の新規感染を記録して松山市の繁華街の飲食店に営業時間短縮を要請する方針を示した25日以降にも7件を確認。参加人数の最多は23日の45人で、24日に38人、26日に33人が参加した送別会があった。送別会の自粛を呼びかける立場の人事課や保健福祉の推進に当たる保健福祉課なども開いていた。県の市町振興課職員30人前後が参加した送別会が3月24日夜に松山市の道後温泉の旅館で開かれたとの一部報道で発覚。県が調査したところ、20人超の会食が3月23、24の両日で計9件あった。さらに、県内で過去最多の59人の新規感染を記録して松山市の繁華街の飲食店に営業時間短縮を要請する方針を示した25日以降にも7件を確認。参加人数の最多は23日の45人で、24日に38人、26日に33人が参加した送別会があった。送別会の自粛を呼びかける立場の人事課や保健福祉の推進に当たる保健福祉課なども開いていた。県の市町振興課職員30人前後が参加した送別会が3月24日夜に松山市の道後温泉の旅館で開かれたとの一部報道で発覚。県が調査したところ、20人超の会食が3月23、24の両日で計9件あった。さらに、県内で過去最多の59人の新規感染を記録して松山市の繁華街の飲食店に営業時間短縮を要請する方針を示した25日以降にも7件を確認。参加人数の最多は23日の45人で、24日に38人、26日に33人が参加した送別会があった。送別会の自粛を呼びかける立場の人事課や保健福祉の推進に当たる保健福祉課なども開いていた。県の市町振興課職員30人前後が参加した送別会が3月24日夜に松山市の道後温泉の旅館で開かれたとの一部報道で発覚。県が調査したところ、20人超の会食が3月23、24の両日で計9件あった。さらに、県内で過去最多の59人の新規感染を記録して松山市の繁華街の飲食店に営業時間短縮を要請する方針を示した25日以降にも7件を確認。参加人数の最多は23日の45人で、24日に38人、26日に33人が参加した送別会があった。送別会の自粛を呼びかける立場の人事課や保健福祉の推進に当たる保健福祉課なども開いていた。県の市町振興課職員30人前後が参加した送別会が3月24日夜に松山市の道後温泉の旅館で開かれたとの一部報道で発覚。県が調査したところ、20人超の会食が3月23、24の両日で計9件あった。さらに、県内で過去最多の59人の新規感染を記録して松山市の繁華街の飲食店に営業時間短縮を要請する方針を示した25日以降にも7件を確認。参加人数の最多は23日の45人で、24日に38人、26日に33人が参加した送別会があった。送別会の自粛を呼びかける立場の人事課や保健福祉の推進に当たる保健福祉課なども開いていた。県の市町振興課職員30人前後が参加した送別会が3月24日夜に松山市の道後温泉の旅館で開かれたとの一部報道で発覚。県が調査したところ、20人超の会食が3月23、24の両日で計9件あった。さらに、県内で過去最多の59人の新規感染を記録して松山市の繁華街の飲食店に営業時間短縮を要請する方針を示した25日以降にも7件を確認。参加人数の最多は23日の45人で、24日に38人、26日に33人が参加した送別会があった。送別会の自粛を呼びかける立場の人事課や保健福祉の推進に当たる保健福祉課なども開いていた。県の市町振興課職員30人前後が参加した送別会が3月24日夜に松山市の道後温泉の旅館で開かれたとの一部報道で発覚。県が調査したところ、20人超の会食が3月23、24の両日で計9件あった。さらに、県内で過去最多の59人の新規感染を記録して松山市の繁華街の飲食店に営業時間短縮を要請する方針を示した25日以降にも7件を確認。参加人数の最多は23日の45人で、24日に38人、26日に33人が参加した送別会があった。送別会の自粛を呼びかける立場の人事課や保健福祉の推進に当たる保健福祉課なども開いていた。愛媛県職員、自粛要請中に20人超の送別会16件 知事給与返納愛媛県職員、自粛要請中に20人超の送別会16件 知事給与返納愛媛県職員、自粛要請中に20人超の送別会16件 知事給与返納

    • こども食堂の友人からのラインに、ミャンマー非常事態に長井さんを思う。の画像

      こども食堂の友人からのラインに、ミャンマー非常事態に長井さんを思う。

      長井さんが射殺される数日前には何万人もの僧侶が鉢伏せ行という軍政に抵抗する抗議デモを起こしました。僧侶たちを襲撃する様に命令された兵士の幾人かはジャングルに逃亡しました。その頃はまだカレン人とか少数民族に対して軍政はカレン人の仏教とにカレン人のキリスト教徒を襲撃させたりして、その報道も有りました。実際、私が援助しているビルマ人はカレン人でキリスト教徒です。何故キリスト教徒が多いかというとイタリアなどの西欧諸国のボランティアは規模が大きく大企業出資していて、スマトラ津波時も「船を修理するから日曜礼拝に来い」という話が有りました。というような状況下で数万の僧侶が決起したわけで、その時点で私は僧侶たちに呼びかけて連帯集会を企画している途上に長井さんが殺されました。そこでその弔いとビデオ奪還と真相究明とを民主化運動協力と兼ねて集会をしました。今収監中の松山市仏教界旧会長も参加して二十六名で石手寺本堂で祈りの会をしました。今も9月27日には毎年ビルマ僧侶に連帯し長井さんを悼みその志を継ぎビルマの平和を祈る祈りを継続しています。そのときの情景を詩にした御詠歌は毎日境内にこだましています。彼はイラク戦争時のバグダッド空襲も撮っている。生きていれば、現在のミャンマーの現状がリアルタイムで記されたであろうと思うと貴重な人材を失ったのだということが痛感されるし志を継ぐといいつつ出来ていない自分自身に腹が立つし、勇気の不足を痛感する。さて、今回の軍隊トップの蛮行に対して体を張っているのは青年だ。死亡者はたしか16~20歳過ぎまでの若者だと報道で聞いた。14年前の町を埋めつくした僧侶たちはどこへ行ったのか。トップが殺されて骨抜きになったのか。ならば生き残っている私たちとは長井さんから見れば骨抜かれ人間だ。腑抜けだ。

  • 09Apr
    • 英語でプラウド、オットクラウド。雲間の太陽。私の存在価値がプラウド

      誇りとは何恥の文化とは何アメリカンドリームとは何結局、何もない人間の存在証明さ一物ある人間はそんなものには頼らない英語なら、インディペンダンと独立だ。独立した人間は、媚びない、貰わない、忖度しない、評価を受けない、世間体を気にしない。だから独立、日本語で自立とか自律。してないひとが頼るのが、マネー、世間体、評価、他人の目線だ。だから独立した人間は、することがない。西洋では神はそのものであってそれ以外ではないそのようにスピノザは目したし、ライプニッツも目途したしかるに、その後の哲学者は科学思想の発展に嫉妬して世間体へと走った。その極みがハイデッガーでありナチスだ。ヒトラーは自分の不安を世間体で埋めた。つまり称賛のみが彼の自立だ。称賛されないと彼は打ちのめされた。生きる意味を失ったのだ。だから彼は必死で称賛を渇望した。その結果は道連れだ。スクール。原義は暇だ。暇とは無駄だ。無駄な人生を覚ったものが、真の余暇を得る。真の余暇とは永遠の時間であり、死を受け入れた生である。

  • 04Apr
    • いったいなにをきらうのか、たいりつするのか

      いったい、なにが、こうそうするのか隣の国の方が敵対する遠い国はとおい近い国はちかいなぜ近親憎悪。隣を憎み。隣と競争し。隣に勝って粋がるナンセンスだ。そして肉親が死んで自分も死ぬ死ぬほど泣く骨が砕けて肉が散乱するほど苦痛にのたうち回るちぎれ、くっつき、さけて、ずれて、原形を復元してたわみ傾斜して停まりながら軋んでいく

  • 01Apr
    • 人生すべて塞翁が馬

      種を撒け落ち穂を拾えどの種が実を結び何が死すかそれは撒いたもののみが知る

    • 生きている意味、生き続ける根拠、根っこ

      生き続けることの根っこは、持続かそれとも変革かその通り変革こそが進化であり明日だそれに対して子孫を守ることは保持だ保持という保身とか保守と、未だ見ぬ明日への跳躍、それは死を意味する飛躍だがそこに死なない意味があるだがこれは南雲弁護士が示した論理的帰結だ論理的でない何かがあるとしたら自他平等無二だ。

    • 生かされていると思った

      今まで自分は自分で生きていると思っていたしかし今日は私は生かされているsomethingismakingmebe aliveと思った野垣先生と渡部さんとそして安藤先生と、きょうの南雲さんやその他大勢と冷たいバニラアイスクリームの間隙に感激。した。おしまい計。

  • 31Mar
    • 永遠の魂

      ミャンマーで死んでいく人々も永遠の魂に触れているのだと信じたい自分は今日の結審を通してそのように確信した'87 夜ヒット  オープニングメドレー井上陽水 → 中森明菜 → 安全地帯 → HOUND DOG → THE BLUE HEARTS → 中村あゆみ → Red Worriors → 久保田利伸 → 田原俊彦 → バービーボーイズ → 渡辺謙 → 本田美奈子 → THE ALFEE → 吉田拓郎www.youtube.com

    • フォー リバー再度

      ひょっとするとりばー再度水辺とは、それひとりでは成立しないでは、何かと成立するそれはリボルバー再度side水の側か溢れる勇気。溢れる死人side心で生きる

    • 福島原発賠償請求控訴審高松高裁結審、渡部最終陳述、野垣弁護士最終訴状の画像

      福島原発賠償請求控訴審高松高裁結審、渡部最終陳述、野垣弁護士最終訴状

      写真は前回のものです私の駄文を読むよりは下記のお二人の最終陳述を読まれたし。実は原告は三人が陳述した。最初は原告代表の渡部さん。事実を連ねつつ、避難の状況が如何なるもので、それに対する東電らの認識の甘さを指摘し、その無理解上に展開される賠償の拙さや謝罪のなさを糾弾した。会場は沈黙し裁判官も聞き入った。陳述後拍手をした。この裁判のクライマックスであり、この裁判に携わって良かったと思った瞬間だ。私ながらに思うことはこのことは渡部さんと野垣さんといっしょに道後公園で集ったときに用意されていた。ある種の友情だろう。次は生業訴訟の代表者のひとりである南雲弁護士。最高に高度な法律用語で流暢にまくし立てたので久方ぶりに脳を全開して理解しようとした。最高に理知的であり、理論的であり、生業訴訟と千葉地裁と群馬地裁の判決の分かれ目を理論的に一刀両断していた。理性とか理知的とかというのはこのことだと思い知った。詳細は凡庸では再現できないが、如何に群馬の評決が誤っているかを指弾していた。多少とも専門家に近づいたの感慨があった。ずっと以前の伊方原発の判決に遡るのが興味深かった。原発は高度に科学的で且つ安全確保への最善の注意が用意されないということが、今回怠ったために起こった人為事故だと明確にしていた。三番目は我らが野垣弁護士である。当県の勇者たる弁護士がだれも受けなかったこの難事件を手弁当で受けていただいた。工君の自死にも触れて彼の19年の人生の内の半分以上が原発に追われた離郷の放浪生活にありその無念さこそが避難者の共通の苦悩であることが思い知らされるとともに、今回の訴訟は単に個々人の真相追求と生活再建のためではなく国民や国際社会人の福利にとっての最大の課題であることが示された。勇気と知性に溢れた三人の弁論はそれが良い結果を導くならば、今生に得る最高の興奮の一つに数えられるだろう。それに比べると東電と国の反論は稚拙で陳腐なものとなった。いかに高給取りの高学歴者を並べても目的が不純であったり経済減速に則していたのでは蟷螂の斧である。まず、東電。地裁での原告への執拗な尋問。原告いじめとも取れる尋問、それは石手寺サマヤ出版からドキュメントとして出版されているが、その中のたとえば「松山に来て良かったことはありますか」「はい温暖で良いところです」との答弁を取り上げて、避難は単に悪いことではなかったというように歪曲してあたかも原告が好んで避難したり、避難してメリットがあったかのような作文を出してきた。東電は終始、原発の失敗については国に丸投げして、賠償は十分にしたのであり、避難した人々もそんなに困っているとは言えないと切り返したのである。問題のすりかえだろう。そして国。国は終始、問題となっている長期評価が、国民の防災意識昂揚のための作文であると糊塗する。さらに多くの碩学が指示しているわけではないなどと付加して、長期評価の地位低下を画策して対処不能だったと言い張る。対処不能だったのは規制委員会の方ではないのか。その上、あのような巨大な天災の前では防波堤も水密の工作も無意味だったに違いないとして無作為はないと言い張る。しかしそれよりは、怠ったことを認めて、真に原発が運用できるかどうかを示す方が得策であろう。言い募るたびに人類にはその運用の資格が皆無であると言っているようなものである。私には弁解すれば弁解するほど人間の無能さと雇用された知性が如何に無能どころか害となるかが見えてきた。裁判官が公判の愚答を切り捨てるように判決日を示したのが印象的だった。帰りの車中、野垣先生は何度も何度も渡部さんの陳述を読み返しては感慨に耽っていた。「渡部さんという原告を得たことはこの裁判の仕合わせであった」と語られた。「野垣先生こそこの機会の幸いであります」私は十年前のあの日の避難者が集っての三人の会食をを思い出しながら先生に言葉を詰まらせた。その一令和元年(ネ)第164号 損害賠償請求控訴事件控訴人  渡部 寛志  外22名 被控訴人 国、東京電力ホールディングス株式会社意 見 陳 述 書 2021年3月31日高松高等裁判所 御中渡 部 寛 志1、霧中の未来 私は、2011年3月12日、福島第一原子力発電所の爆発事故に伴い、 当時2歳と6歳の娘、妻と共に南相馬市小高区から逃げ出しました。   あの時からの10年を振り返って、なにが一番困難だったか。それは、先を見通せない状況がずっと続いた事、続いている事でした。  私は、10年前の避難当初、『1ヶ月くらいで戻れるかな』と期待していました。しかし、戻れませんでした。そして、『いつ解除されるか、その見当もつかない』避難指示が続き、2011年4月22日には、警戒区域に指定されてしまいました。 原発事故が始まってから5年4ヶ月後、2016年の7月12日に、避難       指示が解除されました。しかし『待ちに待った日がついにやって来た』とはなりませんでした。 「戻ってもよい」と言われても、12km先のすぐそこには、溶け落ちた核燃料の取り出しも出来ぬままの、あの原発があります。しかも、その『原発の後始末には2051年までかかる』と言います。 それに、計画通り終わったという放射性物質の除去、通称・除染は、『原発事故前の環境へと原状回復を図るもの』ではありませんでした。例えば、『我が家の田んぼには、土1kgあたり1500ベクレルのセシウム』が残ったままです。また、周辺に広がる森林に至っては、林縁から20m程の除染だけで、そのほとんどが手付かずのままです。 それでも国は、『年間積算線量が20ミリシーベルト以下となる事が確実である』として避難指示の解除をしました。しかし、『安全・安心な生活環境だ』とは断言しません。 そして、避難指示解除から4年8ヶ月を経た現在、南相馬市小高区の人口は、震災前の約30%、その半数が高齢者です。 これらの過程と現実の中で、私は、国と東京電力への不信感を募らせ、子供たちの健康不安を拭えぬまま、右往左往しました。未来に関する妻との意見は一致せず、離婚に至り、愛媛で産まれた息子を含め3人の子は、3カ所で皆バラバラに暮らしています。 私にとってのこの10年は、「時を巻き戻したい」と思う10年です。子供たちのためにもっとよりよい環境を作ってあげれたはず、もっと楽しんで、もっと喜びあえる事をして、家族一緒に、、、と思ってしまいます。2、東京電力への思い 私は、原発事故直後からしばらくの間、東京電力に怒りを感じていました。しかし、事故収束のために避難もできずに、その現場に踏みとどまっているのは、親戚や知人・同級生・地域の人々などの身近な人達であると改めて気付いてから、次第に怒りは薄れていきました。 振り返ってみれば、私たち原発周辺地域の人々にとって原発は、ずっと以前から、多くの人々の生活を支える、なくてはならない職場でした。 同じ地区で生きてきた80代の男性は、原発事故から10年を迎える今なお、「我々は原発に助けられて、なんとかこれまで生きて来られた。出稼ぎもしないで原発に勤めていたんだから、やっぱり原発に助けられたんだと思っている」と言います。 私は、国と東京電力を訴えています。ですが、心の中では東京電力そのものを憎んではいません。むしろ「頼んだぞ、頑張ってくれよ」という応援する気持ちが強くあります。私たちの地域を、安全・安心な地へと回復させるための必要条件である廃炉作業、東電はその重大な役目を担っているのです。 それに、原発事故のそもそもの責任は、不確かな科学技術でしかない原子力発電を、国策として利用してきた『国』にあります。その強力な推進力によって、電力会社・町民・県民・国民の多くが安全神話の妄信者となり、今回の事故に至ったのです。だから、妄信してしまった私たちこの国の大人すべてにも、原発事故の責任があると、私は認識しています。 そのような思いがあるからこそ、私は松山地方裁判所から続くこの法廷の場でも、東京電力に対する批判を出来る限り避けてきました。また、東京電力もこれまで、法廷の場で私たちに対して、その感情を逆撫でするような発言はほとんどありませんでした。国とは違って、東京電力の法廷対応には、加害者であるという自覚を、多少なりとも感じる事ができました。 しかし、2021年1月29日の東京電力によるプレゼンテーションは、被害者の心情にほとんど触れる事なく、自分たちの都合のよいように、偏った事実を述べたものでした。私は、このようなプレゼンテーションを法廷の場でさせた東京電力の首脳陣たちに強く憤りを感じるとともに、このようなプレゼンテーションを万が一にも鵜呑みにされてはならないと思いました。つきましては、東京電力のプレゼンテーションに対する幾つかの批判をさせていただきます。<批判①;被害者の多くが、中間指針に基づく賠償水準で納得しているかのような説明であったが、事実の歪曲である> 東京電力は、『中間指針等に定める賠償額は、“類型的に想定し得る最大限の賠償額”となっている。実際、訴訟を提起した被害者は全体の約0.8%に止まっている』旨を述べました。しかし、0.8%といえど原告は12000人を超えています。また、中間指針によっても解決できず、原子力損害賠償紛争解決センターへ申立した人数は、累計で112158人(2020/6/30時点;文部科学省ホームページより)となっています。 さらに、原子力損害賠償紛争解決手続きに関して、精神的損害の賠償を求める集団申立の事例を見ると、自治体が住民の代理人となり集団申立を行った浪江町では、住民の7割以上である15000人余りが申立に参加していました。浪江町弁護団は、「この申立に町民の7割以上が参加したという事実自体、多くの浪江町民が被害救済が不十分と感じながらも司法手続きによる救済は負担が重すぎて困難だと考えていたことの反映であった(2018/4/6;和解仲介手続き打ち切りに対する弁護団声明)」と述べています。 これらの事実を少ない人数として、また低い割合として、自らの賠償対応のあり方を正当化することは許されません。 しかも、浪江町の集団申立に対する東京電力の姿勢は、浪江町長がい言うように「避難者に寄り添うどころか、突き放しているとしか思えない(2018/4/6;浪江町長コメント)」ものでした。 原子力損害賠償紛争解決センターは、浪江町民に対する精神的損害の賠償額増額を認める和解案を示しました。これに対し、浪江町民の99%以上の住民が受諾に同意しましたが、東京電力は、「本和解案に応ずることとした場合には、中間指針等によらず、長期避難者の方々に対する賠償の在り方の枠組みそのものを変更することになり、中間指針等に基づき賠償を受けた方々との公平性を著しく欠くことになります(2014/9/17;東電受諾拒否の回答書より)」という理由をあげ、和解案の受諾を拒否しました。 しかし、この拒否理由は、矛盾に満ちています。中間指針を策定した機関は、原子力損害賠償紛争審査会です。その原子力損害賠償紛争審査会の下におかれた原子力損害賠償紛争解決センターが示した和解案を、拒否したのです。 そしてその後、およそ4年にわたる和解案受諾の要求・要望活動、勧告にも答えることなく、2018年4月に和解仲裁手続きが打ち切られる結果となりました。 さらに、浪江町の他にも、飯舘村・川俣町・相馬市・福島市などで合計7000人以上が精神的損害の賠償を求める集団申立を行ってきましたが、いずれも原子力損害賠償紛争解決センターの和解案を東電が受諾拒否するというかたちで、和解仲介手続きが打ち切られています。 中間指針は、あくまで事故直後に策定された最低限の基準であって、“最大限の賠償額”などではありません。にもかかわらず、中間指針を盾として、中間指針を超える精神的損害額の直接請求や集団申立のほとんどを拒否する、そして本訴訟では、それらの事実に触れることなくプレゼンテーションを繰り広げる。東京電力は、どれだけの被害者の声に耳を傾けてきたというのでしょうか。様々な苦難に直面した一人一人の訴えに、耳を塞いでいるのではないでしょうか。東京電力は、自らの意思により、積極的救済を図ろうというつもりはあるのか。はなはだ疑問です。<批判②; 一時立ち入り費用に関して、十分な賠償を行っているかのような説明をするとともに、福島への一時帰宅に疑問を投げかけているが、心外である> 東京電力は、私の事例を挙げ、愛媛・福島間自動車移動での一時立ち入り費用に関し、賠償実績は一往復あたり約68000円であるとし、東京電力が算定した額よりも6年間で110万円以上多く支払った旨の説明をしました。実際に私が行き来で使っている2トントラックでも、交通費は確かに足りているように見えます(往復距離2400km×燃費0.16ℓ/km×軽油130円/ℓとして1往復約50000円の燃料代と本四連絡橋通行料1往復約12000円の合計約62000円)。しかし、費用はこれだけでは済みません。2往復に1回のエンジンオイル交換におよそ10000円、本来不要だった中古トラックの購入費150万円、車検代・修理代・税金等々の年間維持費約20万円、これらを含めれば6年間でさらに270万円以上の費用が加算されます。 また、東京電力は、私が福島を往来する目的について、「一時帰宅というよりは、業務として」と表現しました。確かにミカンを運んでいます。ですが私にとって、ミカンを運ぶことは一時帰宅を続けるための理由に過ぎません。 私は、2011年7月以降、年10回程、福島との往来を続けています。すでに100往復はしたでしょう。そのうち約60往復はミカンを積んでいます。もし、業務として利益を得る目的だけであるなら、こんなバカなことはしません。トラックを買って、維持費を払って、1回の行き来で5日以上の時間と労力をかけてです。しかも、2017年3月以降分について、東京電力は交通費の請求を受け付けてもいません。赤字はかさむ一方です。 「なぜ福島に行くのか?」、行っても始めの1年間は、許可がなければ、家に立ち入ることもできませんでした。宿泊を除く一時立ち入りができるようになっても、やれることはほとんどありませんでした。それでも足を運ぶのは、そこに生きてきた場所があり、生きてきた過去があり、生きるはずだった未来があるからです。私は、汚され・奪われてしまった家・田んぼ・畑・山・川・生まれ育った地域にあるものの変化を、出来る限り見届けたいと思いました。 そして、生きる場を奪われたことで、物理的に断ち切られてしまった地域の人々との繫がりも、少しでも取り戻したいと思いました。ミカンを届けることを理由に、県内各地の仮設住宅や民間借上げ住宅、隣県へ避難した人達などと、直接会う事が出来ました。家族や共通の知人友人の安否について、地震や津波で受けた被害の様子、原発事故直後の混乱、避難先に辿り着くまでの経緯、避難先での生活状況、帰還の意向、国の復興政策や東京電力への不満など、会うたび様々な話しをしました。私にとってミカンは、生きてきた地域やその地域の人々と定期的に繫がり続けるための、大切な道具になりました。 一時帰宅をする人・しない人、またその理由・目的は、避難者それぞれの思いがあっての事です。生きる場を奪った当人が、一時帰宅に疑問を投げかけるなど、言語道断です。<批判③; 農業賠償に関して、利益の減少分以上の賠償を行っているかのような説明をしたが、農業という生業に対する理解に欠けている> 東京電力は、私の事例を挙げ、賠償実績を2010年の農業所得と対比させ、約470万円超過する賠償金を支払った旨の説明をしました。しかし、その賠償額は、営農面積に基づき作物の種類ごとの作付け面積によって算出する(期待所得)という、東京電力が自ら用いた計算式で決定されたものです。統計に基づいたこの方法をとることで、年毎に所得が大きく変動しがちな業種である農業においても妥当な金額を示すことができ、両者合意に至りやすい算定方法であると、私自身も理解しています。よって、東京電力は、当たり前の賠償額を支払ったに過ぎず、単年度の農業所得と比較しどうのこうの言うべきものではありません。 加えて言うと、本来は、期待所得の賠償だけでは済みません。農業は、土地・建物・機械、それに地縁・血縁という人間関係や、農協・市場・小売店・飲食店・消費者などとの信頼関係があってこそ成り立ち、続ける事の出来る生業です。東京電力は、長い年月を要して築いてきた、これらの成り立ちを破壊しているのです。金銭で代え難い、農業経営の根幹となるものを消失させておいて、「利益の減少分以上の賠償をしている」など、農業という生業を理解できていないのでしょうか。 また、東京電力は、「特別な努力」として、避難先で新たに得た収入(利益)を賠償額から控除していないと説明しました。では、生業を取り戻すために避難先で新たに発生した損失には、どのように対処するのでしょうか。私は避難先の愛媛県において営農を再開させましたが、愛媛での農業経営は赤字が続いています。農業収入(売上)が400万円を超えた2013年以降、2018年までの6年間の農業所得の合計利益は約1080万円のマイナスとなっています。気候や地理的条件がまったく異なる土地で、新たな作物栽培に取り組み、十分な施設や機械もなく、新たな人間関係の中で経営を成り立たせることは困難を極めたのです。この損失は、「無駄な努力」として放置するつもりでしょうか。まだ明確にはなっていません。 そもそも東京電力は、私に対する農業賠償に関し、昨年5月にようやく2011年分の支払いに応じたのみで、2012年以降の賠償請求には未だに応じていません。本訴訟は、精神的損害を求めるものでありますので、これ以上の批判はしませんが、東京電力には誠意ある対応を求めます。<批判④;自主的避難等対象区域からの避難は不要であったかのような説明であったが、加害者意識が欠如した責任逃れである> 東京電力は、「自主的避難等対象地域では、大部分が避難せず、保育園・幼稚園・学校等が再開され、様々な行事も行われた。このような状況の中でも、一律12万円、妊婦・子供にはプラス40万円を賠償した」という旨を述べました。しかし、東京電力の説明には、加害者意識が感じられず、何によって被害を与えたのか、どのような被害を与えたのかすら認識していないのではないかと感じました。 特に、『いわき市の広報誌を用いた説明』と『いわき市民の様子を写した34枚もの写真を示した説明』は、言わんとする事が、「避難した市民は、勝手に不安を増幅させ、避難などという不要な行動をしたのだ」ということでした。 しかし当時の状況はどうだったでしょうか。 『いわき市・東日本大震災の証言と記録(2013/3/23;いわき市発行)によると、3月13日には、原発に近いいわき市北部の住民に対し、市独自の判断による避難要請がありました。3月15日には、市内最大値となる23.72マイクロシーベルト/時の放射線量を観測しました。3月18日には、妊婦及び40歳未満の市民を対象に、市独自の判断で安定ヨウ素剤の配布が始まりました。3月23日には、水道水から基準値を超える放射性物質を検出し、乳児の水道水摂取制限が呼びかけられました。このような状況に陥った時、市民は何を思い、どのように行動するでしょうか。 2012年7月にいわき市が実施した『市内在住者への震災アンケート』の結果を見ると、避難を経験した市民は55.4%となっており、「欲しかった情報は?」という問いに対し、「福島原発事故の状況及び放射線量」と答えた方が最多となり80%を超えています。 また、2011~2014年にかけていわき市が4回実施した『市外避難者アンケート』の結果を見ると、「いわき市へ戻るうえでの課題」という問いに対し、いずれの調査結果でも「原発事故の収束」または「放射線の不安解消」と答えた方が最多となり60%を超えています。 さらに、いわき市同様、大部分が自主的避難等対象区域となった福島市が実施したアンケート結果(放射能に関する市民意識調査;2012年5月実施)を見ると、原発事故発災から1年2ヶ月を経過してもなお、「できれば避難したい」という答えが33.7%、「福島県の子どもたちの将来が不安だ」との答えが89.1%となっていました。 これらのアンケート結果は何を意味するのでしょうか。震災前の普段の生活の中で、原発事故や放射線被ばくに関して、我が事として考えたことのある人は少ないでしょう。私たちは、原発の危険性についてほとんど知らされず、その安全性を漠然と信じ込まされてきたのです。そして、原発事故の当事者となったのです。国を、東京電力を、どうやって信じろというのでしょうか。 避難指示区域でなくても、いわき市民だって「原発事故の拡大と被ばくの恐怖」や「政府・東電への不信感」を抱きながら、不安な日々を送っていたのです。 いわき市からの自主的避難も、不安と混乱の中にあって大切なものを守るために、仕方なく選択した行動だったはずです。 私は、いわき市で何があったのかを、さらに知るため、当時のいわき市長であった渡辺敬夫さんに連絡を取りました。そして、東京電力が使用したプレゼンテーション資料をお見せし、次の3点についてお話しを聞きました。その答えは以下のとおりです。・「いわきは安全だ」と発信した文書の真意(東京電力;口頭説明資料11ページについて) 「いわき市には、数値いくらだったら安全なのか、安全じゃないのか、という判断能力を持ち得なかった」、「国がいわき市の各所のデータをとって、松下経産副大臣が何回か説明に来て、政府が屋内退避の指定を解除したいという話しがあって、それと山下先生(長崎大学教授、福島県放射線健康リスク管理アドバイザー;当時)が、この数値だったらまだ大丈夫なんじゃないかという判断材料で、いわき市は安全だという話しをした」、「だから東京電力が広報誌を使って『いわき市長が』って言ったって、それは判断材料が無いなかでの判断を国と教授の話しを聞いて『安全だ』っと言ったというだけの話し」・市民生活の実態(東京電力;口頭説明資料13~18ページについて) 「各行事はもったかもしれないけど、それは市民はそれぞれ不安もあったろうし、震災前と震災の後でどうだったんだって言ったら、それは心にそういうものを持ちながら、市民は覚悟していたのではないかと思います」、「がんばっぺ!いわき通信(東京電力;口頭説明資料11ページの広報誌)には相当批判もありましたし、ずいぶん苦情も来ましたから、何が安全なんだ、って言う事で」、「震災以降は、みんな傷ついてやってるってことですよ」・今の思い 「その当時は判断材料がなかったから安全だと言ったけど、私自身が終始一貫安全だと言っている訳じゃない」、「私が安全だと言ったのは、まだ事故から1ヶ月後ですからね、それから1年、2年、3年と来て、今は皆さんそれぞれ自分の判断材料となるものが出てきているわけだから、当時の自分の判断が安全だと言い切れたのか、間違いだったんじゃないのかなってのは、疑問に思ってる」 そして、渡辺さんは最後に、「東電の主張は、一部分だけ切り取った話しなんで、私自身に確認したわけでもない。たまたま出した文書を取り上げてやっているというやり方なんだ。だからこれはもう、徹底的にやった方がいいよ」と話しました。 原発事故後のいわき市の実状は、「確かな情報を得、確かな判断をできる状況ではなかった」、「市民は恐怖し心傷つき不安の中にいた」という事ではないでしょうか。にもかかわらず、東京電力のプレゼンテーションは、市民の思いにも、対応にあたった市職員や市長の思いにも触れてはいません。自分たちの都合のよいように、偏った事実だけを後世に伝えてしまうようなモノでした。 東京電力は、国を後ろ盾に被害者と対峙しているように感じます。しかし、私たちは、東京電力が心ない人達の集まりではない事を知っています。国とぶつかっても、加害者としての責任を果たそうとする姿を見せて欲しいです。3、前に進みたい 「私たちは無理な要求をしていない。責任を認める気持ちがあるならば、裁判を長引かせずに、終わらせるという決断をして欲しい」、「元の生活をしたい」、「前に進みたい」。 原発事故から10年を経た、原告の声です。 私たちが提訴を行うまでの3年は、国自ら加害者である責任を認め、東京電力とともに被害者の積極的救済を図ることを期待していました。しかし、国は原発事故の責任を認めず、私たちと争う姿勢をとりました。そして、原発事故発災からまさかの10年、私たちは、いまだに過去に囚われたままです。 「我々は原発に助けられて、なんとかこれまで生きて来られた」と言っていた80代男性は、「今は、何年生きられるか、ぐらいしか考えられないんだよな」と言います。そう思うことしか出来なくなった老人の心情を考えると、悔しくて仕方ありません。 だからこそ私は、夢も希望も語れないような大地にさせてたまるかと思います。いずれ、安全・安心と胸を張れる大地を取り戻し、祖先たちが命を繋いできた大地へ、子孫たちが笑顔で戻れるようにしたいと夢みています。 福島第一原子力発電所の事故は、絶対に起きてはならない出来事でした。『目に見えないモノ』が恐怖を生み、生きる場を奪い、家族を引き裂き、人々の営みを破壊しました。あまりに悲しく、あまりに悔しい結果を生みました。 なぜこんなことになったのか、どこに『誤り』があったのか。被害者が納得する形で究明できなければ、この惨事を終わらせる事はできません。もし、東京電力という一企業に責任をなすりつけ、国の責任を有耶無耶にさせる結果となるならば、『被害の回復』はますます遅れてしまいます。そしてこの社会は、再び誤った道へ進みかねません。 裁判官の皆様、私たちは「前に進みたい」と願っています。 国と東京電力に対し、事実の歪曲を許さず、被害の実態を把握させ、責任逃れを許さぬ判断をされますよう、お願い申し上げます。その二令和元年(ネ)第164号 損害賠償請求控訴事件控訴人兼被控訴人 渡部寛志 外22名被控訴人兼控訴人 国、東京電力ホールディングス株式会社意見陳述書(3件の高裁判決における国賠償法上の違法性に関する判断についての整理)2021年3月31日高松高等裁判所 第2事部 御中原告ら控訴復代理人弁護士 南雲芳夫はじめに 仙台高等裁判所は、昨年9月30日に「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟(通称「生業訴訟」)について控訴審判決(以下、単に「生業判決」といいます。)を言い渡し、一審・福島地裁判決に続いて国の国賠法上の責任を明らかにしました。私は、生業訴訟の原告団の幹事をしておゃます。福島第一原発事故・群馬訴訟については本年1月21日に、同・千葉1陣訴訟については2月19日に、それぞれ東京高等裁判所において控訴審判決が下され、国賠償法上の責任については結論が分かれました。(以下単に「群馬判決」「千葉判決」)といいます。 関連する3つの控訴審において、私たち生業訴訟弁護団と群馬・千葉の両弁護団は連携・共同して主張立証を進めてきました。その過程で、本件の原告弁護団とも協力・共同を深めてきました。 私からは、一審原告らの準備書面に基づき、生業訴訟、群馬訴訟及び千葉訴訟の3つの控訴審判決について、結論はどこで分かれたかについて陳述いたします。第1に、技術基準適合命令という「規制権限を行使するための要件が満たされていたこと」の確認がなされるべきことです。 本件においては「津波の予見可能性」が最大の争点として争われてきました。 この点、生業判決も千葉判決も、「津波の予見可能性」の問題は、「想定される津波により原子炉の安全性を損なうおそれがないこと」という、技術基準への適合性「長期評価」によって敷地高さの問題であると明確に位置付けています。すなわち、を超える津波が予見され、「安全性を損なうおそれがある」と判断されることは、技術基準適合命令を発するための前提です。よって、本件においては、まずは「想定される津波によって安全性を損なうおそれがある」という要件が充足されていたのか否かが確認されるべきです。 この点、千葉一審判決等は、「津波の予見可能性」が技術基準への適合性の問題であることを正解せず、「長期評価」による「津波の予見可能性」を認めつつも、技術基準への適合・不適合についての判断を明示しないという誤りを犯していました。 この点は、群馬判決を含む3つの高裁判決によって誤りが正されたといえます。第2に、原子力安全規制に関する法令の趣旨、目的の捉え方についてです。 この点、生業判決と千葉判決は、伊方最判のア 「深刻な災害が万が一にも起こらないようにする」ために厳格な規制が求められるとの判旨 及び、そのためにも、イ 「最新の科学技術水準への即応性が求められる」との判旨 を踏まえた判断を示しています。 この2つの判旨からは、原子力安全規制においては、「典型的な警察規制」のように通説的見解を考慮するだけでは足りないのであり、「事前警戒・予防」の観点から「客観的かつ合理的根拠が認められる科学的知見」によって「安全性に対する合理的な疑い」が認められる場合には「先取り的」に防護措置を講じることが求められます。(1)生業判決 生業判決は、「(原子炉)事故が発生すると・・・周辺住民等の生命、身体に重大な危害を及ぼすとともに、周辺の環境を放射能によって汚染し、避難等に伴って住民の生活やコミュニティを破壊する・・・といった、深刻な災害を引き起こすおそれがある」として被害法益の重大性を示した上で、安全規制は「重大な事故及びそれによる深刻な災害を万が一にも起こさないようにするためのもの」であると判示しています。 また「一般に営利企業たる原子力事業者においては、利益を重視するあまりややもすれば費用を要する安全対策を怠る方向に向かいがちな傾向が生ずることは否定できない」と判示し、安全規制によって制約されるのは事業者の経済的な利益に留まることも、規制権限の厳格な行使が求められる要素として挙げています。 生業判決は、こうした判断を踏まえ、「想定される津波」を基礎付ける知見については、「客観的かつ合理的根拠を有する科学的知見」であれば足りるとしています。(2)千葉判決 千葉判決は、「(深刻な災害)が生じないように万全を期する観点からの規制が求められる。」と判示し、そうした観点から、安全規制を基礎付ける知見についても、「最新の科学的水準における相応の信頼性を有するものであることが必要である」としています。 そのうえで、「地震や津波の発生メカニズムの解明は未だ十分ではなく、その進展の途上にある」ことから、「異論が示されることは不可避であり、また自然なこと」であるとして、異論が存在したことは「長期評価」の信頼性を大きく損なうものではないとしています。(3)群馬判決 これに対し群馬判決は、長期評価には、「種々の異論や信頼性に疑義を生じさせる事情が存在していた」ことをもって技術基準への不適合を基礎付けるものではないとしており、実質的に通説的見解としての知見の確立を求める考え方に立っています。 群馬判決において「万が一」という文言が判示に現れないことは象徴的といえます。第3に、伊方最判の「2段階の判断過程審査」は本件には妥当しないことです。(1)生業判決 この点、生業判決は、設置許可処分が争われた伊方最判の事案は、「原子力工学はもとより、多方面にわたる極めて高度な最新の科学的、専門技術的知見に基づいた総合的判断」が求められたものであるが、これに対し本件の争点は、実際上は「長期評価」に信頼性が認められるか否か等に限られ、「原子力工学はもとより、多方面にわたる知見に基づいた総合的判断」は不要であるとして、「2段階の判断過程審査」は本件には妥当しないと判示しました。 そして実質的にも、経済産業大臣の専門技術的裁量が認められる範囲について、「その裁量は飽くまで技術基準適合命令の発令には科学的、専門技術的知見に基づく総合判断を要することから認められるものであって、そうした根拠から離れた広範な裁量が許容されるものではない。」 と的確な判示をしています。(2)千葉判決.............千葉判決も、同判決の判断過程は「一審被告国の主張とは異なる・・・」として、間接的な形ながら、「2段階の判断過程審査」を採用しない旨を明言しています。(3)群馬判決 これに対し群馬判決は、「津波評価技術」について「規制基準として合理性が認められる」との判断を行い、かつ「長期評価の知見はこのような津波評価技術の知見と整合しないものであった」として、その信頼性を否定しており、実質的に国の主張する「2段階の判断過程審査」を採用したものといえます。 しかし、伊方最判は、設置許可処分については、「専門家による調査審議及び判断」を尊重して判断をすべきことが法令上義務付けられている特殊性を踏まえ、行政庁が依拠したところの「専門家による調査審議及び判断」の過程に「看過し難い過誤欠落」があるか否かを審査すべきとしているものです。これに対し、本件では、そもそも「2002年8月保安院対応」において、「専門家による調査審議及び判断」がなされたとは到底いえないのであり、伊方最判の判断方式を援用する前提を欠くものです。第4に、保安院が「長期評価」公表直後にこれを安全規制の基礎に据えないとした2002年8月保安院対応は「専門家による調査審議及び判断」を経たものではなく専門技術的裁量を尊重する前提を欠くものであることです。(1)生業判決 この点、生業判決は、保安院の対応について「一審被告東電による不誠実ともいえる報告を唯々諾々と受け入れることとなったものであり、規制当局に期待される役割を果たさなかったものといわざるを得ない。」 と指弾しました。(2)千葉判決 千葉判決も、「規制機関による検討としては、いささか不十分であって、・・・・慎重な考慮に欠けるものであったといわざるを得ない」 と厳しく評価しています。(3)群馬判決 これに対し、群馬判決は、2002年8月保安院対応及びその後の本件事故に至るまでの保安院の津波対応の経過を概観し、「原子炉施設における津波対策は・・・検討途上であったと認められ、一審被告国において津波対策を怠っていたと評価できるものではない」 として規制対応の合理性を肯定するのみです。 しかし、「最新の科学技術水準への即応性」が求められる原発の安全規制において........は、「その時点における科学的水準における相応の信頼性を有する」知見(千葉判決118頁)に即応することが求められるものです。 「検討途上であった」とし、検討が継続されていれば「最新の科学技術水準への即応」が求められるものではないかのような群馬判決の判断は、伊方最判の考え方に照らしても誤りというしかありません。第5に、理学的知見の科学的信頼性についての裁判所の判断手法についてです。 原子力の安全規制において「専門家による調査審議及び判断」を尊重するという伊方最判の基本的な考えた方は、本件において、地震本部の「長期評価」の信頼性を判断する際にも妥当するものといえます。(1)千葉判決 この点、千葉判決は「知見の科学的信頼性の評価については、当該知見の学術的、科学的見地からする正確性や妥当性自体の評価は、まさに規制機関の専門家的判断に委ねられるべきものであるから、裁判所としては、当該知見の内容につい.....て一般的検討をしつつ、当該知見の形成過程や学会等の専門家による評価...等からその科学的信頼性の評価をすることとなる。」 としています。(2)生業判決 生業判決も、「『長期評価』の見解は、一審被告国自らが地震に関する調査等のために設置し多数の専門学者が参加した機関である地震本部が公表したものとして、個々の学者や民間団体の一見解とはその意義において格段に異なる重要な見解であり、相当程度に客観的かつ合理的根拠を有する科学的知見であることは動かし難」い、 として、同様の評価の手法を採用しています。(3)群馬判決 これに対し、群馬判決は、① 「地震地体構造論が一般的な知見であった」とし、いわゆる萩原マップ等の地震地体構造図が「想定最大地震」を考慮する際の確立した知見であり、かつ② 「地震地体構造が日本海溝の南北で異なっているとの知見が相当程度通有して(いた)」とし、これを確立した知見として扱い、これに沿わない「長期評価」の考え方の合理性を否定しています。  しかし、群馬判決の判断は、本件事故後、しかも提訴後に訴訟担当者の依頼に基づいて作成・提出された地震学者等の意見書の記載を、都合のいい範囲で「つまみ食い」的に援用して、あたかも裁判所が地震学者であるかのような判断、しかも不正確な判断を行っており、伊方最判が示した「専門家による調査審議及び判断の尊重」という考え方にも反するものです。第6に「津波評価技術」についての事実認定及びその評価の在り方についてです。(1)群馬判決 群馬判決は、「津波評価技術」について「当時確立し、実用として使用するのに疑点のないものを取りまとめたもの」として規制基準として合理性が認められるとの判断を行いました。また、具体的な地震想定ついても、「津波評価技術」の「地震想定図」を基準として、「長期評価」がこれに整合していないとして、「長期評価」の信頼性を否定しました。(2)千葉判決 千葉判決は、「津波評価技術」公表直後の平成14年3月に、保安院が「津波評価技術」に基づいて技術基準適合性について判断したと認定しています。 しかし、同年7月に「新たな知見」である「長期評価」が公表され、かつ「長期評価に示された見解については、相応の科学的信頼性のある知見であると評価することができ、津波評価技術と比較しても、その科学的信頼性において、優位とはいえないまでも、同等であるというべきである」とし、「少なくとも同程度の科学的信頼性があると評価できるときは、・・(これを)判断の基礎としないとすることは著しく合理性を欠く」と判示しています。(3)生業判決 これに対して、生業判決は、「津波評価技術」は「保安院等の当時の原子力規制機関が『事実上』基準として用いていたに過ぎない」、土木学会・津波評価部会は、電力会社などの関係者も多数参加しており「原子力事業者を適正に監督・規制するための見解を策定するには不向きな団体である」、 としました。 また、こうした判断を基礎づけるものとして、佐竹健治証人の証言、すなわち、① 「津波評価技術」と「長期評価」はそもそも作成された目的が異なること、② 「津波評価技術」は起こった地震から津波を計算する技術としては当時の最高度の技術を集約したものではあるが、過去の地震についての詳細な検討はしていないから、将来どこでどういう地震や津波が起きるかについての詳細な検討はできないこと、③ それを正にメインテーマとして行ったのが「長期評価」であって、どこでどんな地震が起きるかに関しては、「長期評価」の方が優れた知見であるということでよいかと問われて、そうである旨を明言した佐竹証言を援用しました。 佐竹証人は、「津波評価技術」及び「長期評価」の双方の策定過程に関与した地震学者であり、かつ国が地震学の第一人者として自ら申請した証人です。その証言の重みは、裁判提訴後に国の訴訟担当者の依頼に基づいて作成されたその余の専門家意見書とは全く異なるといえます。 「津波評価技術」については、①その策定目的に「日本海溝沿いにおける想定最大地震の長期的評価」が含まれていたのか否か、②「参考資料」として添付されたに過ぎない日本海溝沿いの「地震想定図」は、地震学者らによる詳細な検討を経たものと評価できるのか、 などの点について、証拠に基づいて正しく評価される必要があります。第7に、「違法性の考慮要素としての結果回避可能性」と「因果関係要件としての結果回避可能性」は区分して判断がなされるべきことです。(1)千葉判決 千葉判決は、両者をはっきりと区別したうえで、「違法判断における結果回避可能性」については、あくまで「想定される津波に対して、当時、有効・適切な防護措置が想定できたか」という観点からの検討を行っています。 そして、結論として、「防潮堤のみでは安全性確保の点から十分でないと判断した蓋然性があり、・・・水密化の措置を検討することは十分に想定することができ、防潮堤による津波対策と併せて採用することも想定することができた」「全電源喪失という重大事故を防ぐための措置として、防潮堤等の設置のほか、タービン建屋や重要機器室の水密化の措置をとることが想定することが可能であり、これを想定すべきであった」 とし想定される防護措置によって事故の回避が可能であったと認定しています。(2)生業判決 生業判決は、二つの論点があることは前提としつつ、いずれにせよ、規制権限を行使した場合に「本件事故という結果を回避することができたかどうかの検討が不可欠である」として、(「大は小を兼ねる」観点から)後者の因果関係要件としての結果回避可能性について判断を行い、これを肯定しています。(3)群馬判決 群馬判決は、結果回避可能性が問題となる2つの場面を明示的に区別した判示はしていません。 同判決は、「想定津波に基づく技術基準適合命令によっても、本件津波に対して事故の発生を回避できたとといえない」とし、因果関係が否定されることを挙げて、これを国賠法上の違法性を否定する理由としています。 しかし、これは2つの論点を混同するものといわざるを得ません。第7に、因果関係の認定については証拠の偏在等の事案の特性を踏まえた判断が求められることです。(1)生業判決 この点について、生業判決は、本件における因果関係の主張立証負担の在り方について、 結果回避措置の合理性や結果回避可能性に関する資料を一審被告らが独占的に保持しおり、「一審原告らが細部まで厳密に主張立証することはそもそも不可能に近いものである。」と判示し、 また、伊方最判を援用し、原発の設置、管理上の瑕疵が争われる訴訟における主張立証責任の分配については、「当事者間の衡平の観点に特に留意する必要が高い」としています。 その上で、「一審原告らは(結果回避措置について一定程度具体的に特定した)主張・立証を果たしているといえるから、一審被告国において、一審原告らが主張する上記各措置が実施できなかったこと、又はこれらの措置を講じていても本件事故が回避不可能であったこと等の、結果回避可能性を否定すべき事実を、相当の根拠、資料に基づき主張・立証しない場合には、結果回避可能性及び因果関係があることが事実上推認される」 と判示しています。(2)千葉判決 千葉判決においても、「技術基準適合命令を発した場合に講じられる措置自体が仮定的なものとならざるを得ず」、「それまでに本件津波と類似の事象が発生したこともないため、・・・・実証的な検討も困難である」、「規制機関においては、・・・・具体的検討をしていないために、仮に技術基準適合命令を発し規制権限を行使したとする場合の具体的措置や経過を推認する資料に極めて乏しい」と本件における特殊な事情を指摘し、「因果関係について検討するに当たっては、このような事情を踏まえることが相当である。」 としています。 そして、「一審被告国及び一審被告東電は、本件津波による本件事故は防げなかったと主張するが的確な反証があるとはいえない」 として、原告側の立証責任を限定しています。(3)最高裁の訴訟上の因果関係についての考え方と群馬判決 なお、B型肝炎訴訟最高裁判決の判例解説においても、最高裁判所が訴訟上の因果関係の認定について原審の判断を変更した4件の事案を検討し、 「(最高裁判例がいう)『高度の蓋然性』『通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るもの』という要件の意義は、少なくともこれらの事件の原審が考えたほど高度の立証が必要なものとは考えておらず、当事者双方の立証の状況、原告の証拠提出(収集)の現実的可能性等を踏まえた上、他原因の可能性との総合評価において、当該事実が当該結果の原因であることについて高度の蓋然性を肯定することができるものであれば足りると考えている」 とされています。 これに対し、群馬判決は、「証拠の偏在の特性」、「実際には防護措置の検討がなされなかったことから、想定される具体的措置や経過を推認する資料に極めて乏しい」という本件の特質を一切考慮しておらず、最高裁判例の考え方に反するものといわざるを得ません。最後に 本件において司法に期待される役割について 最後に、判決を通じて、国と東電の責任を明らかにする意義について述べます。福島原発事故によって、福島県を中心として甚大な被害がもたらされ、多くの住民が塗炭の苦しみを味わってきました。 しかし、(生業判決168~169頁において、福島第一原発所長・吉田昌郎氏の聴取結果書に基づいて判示するとおり)、本件事故はより重大な事故に進展する危険性もあったのであり、被害がこの程度にとどまったのは偶然による結果に過ぎないとも言えます。 私たちは、国の存立をも揺るがしかねなかった福島原発事故という深刻な災害を同時代で経験しました。その時代を共に生きた者として、本件原発事故の原因を明らかにし、その責任を究明し、二度と原発事故を起こさないための教訓を導き、これを後世に伝えることは、私たち全ての訴訟関係者(裁判所、さらには当事者双方そしてその代理人)の共通した責務です。 そして、原子力規制機関が、法令の趣旨にもとる対応を行ない住民に甚大な被害をもたらしたにもかかわらず、その原因への反省、そして責任についての自覚のない対応にとどまる場合に、規制法令の趣旨を明らかにして、あるべき規制の在り方を示すことは、裁判所の使命といえます。 貴裁判所が、法が裁判所に求める役割、国民が裁判所に期待する使命を果たされることを希望して、私の弁論と致します。以上その三令和元年(ネ)第164号 損害賠償請求控訴事件控訴人兼被控訴人  渡部 寛志  外22名 被控訴人兼控訴人  国、東京電力ホールディングス株式会社最終準備書面(結審にあたって)令和3年3月31日高松高等裁判所 第2部 御中 控訴人兼被控訴人ら訴訟代理人 弁護士  野 垣 康 之第1 はじめに1 福島第一原発事故が発生してから10年が経過しました。フクシマの現実は,廃炉作業は未だ核燃料デブリの取り出し方法も処分方法も定まらないし,汚染水を海洋に放出することの是非が問われています。 避難者はそんな危険きわまりないフクシマに帰還を促されているのである。こんな福島にどうして帰還できようか。 本件訴訟は、避難生活による深刻な精神的苦痛のみならず、「地域における生活と人生を丸ごと奪われる」という、これまでに類例のない被害の救済が課題となる、未知の事態でした。そこで、本件訴訟の提起と遂行にあたっては、深い精神的被害を内在する、この全人格的・全生活的な被害の全体像と本質を見極めることが求められました。 すなわち、このような被害において侵害された権利法益は如何なるものなのか、「地域」あるいは「地域生活」とは、人間にとってどのような意味や価値を持つものなのか、地域の破壊は、人間に如何なるダメージを与えるのか。そして、生じた損害の全容はどのようなものなか。  事故から10年が経過して、避難指示が解除される段階に至ってもなお、地域の損傷は治癒せず、故郷喪失・剥奪損害は回復していません。2 本件の原告のひとり新妻工君が判決を前に令和2年9月3日逝去しました。JRの特急に飛び込んだ自死でした。福島県双葉郡川内村で生まれてから10歳まで福島県で過ごし、原発事故の後、9年間避難先で過ごしました。短い19年の人生の半分近くを避難先で過ごしたことになります。さぞ故郷福島に帰りたかったであろう新妻工君の心情を思うと支援者として無念でなりません。3 一審被告東京電力は、控訴審において、大多数の福島県民は避  難せずに留まっている、福島県内においてまつりや花火大会などが再開されて多くの人が参加しており社会活動は回復している等の理由から中間指針による賠償で十分でこれ賠償金を支払う必要はないと主張しております。 一審被告東京電力は、原発事故発生直後「最後の一人が新しい生活を迎えることができるまで寄り添い賠償を貫徹する」と誓いました。 しかし、実態はあまりにかけ離れており、現在ではADRの仲裁案でも平然と拒否しています。 巨大な放射能公害をもたらした一審被告東京電力の責任は、過失の態様においても極めて悪質であって、加害企業である東電に対する一審原告ら被害者の怒りは大きいものがあります。一審原告らが、本件における責任の所在を明らかにし、真摯な謝罪を求めることは、当然の要求です。 4  3・11福島第一原発爆発事故は,「万が一にも起こってはならなかった事故でした」。一審原告の方々は万が一にも起こってはならなかった本件事故のため,大変な苦労をし,愛媛に避難してきました。ふるさとを捨て,コミュニティから離れて,自分の人生をかけて自分と家族の健康を守るために愛媛に避難してきました。 その被害のすべては一審被告東電と一審被告国に十分に賠償してもらわなければなりません。5  最後に本件訴訟の審理を通じて,裁判所が本件複雑困難な訴訟に真剣に立ち向かい,懇切丁寧な審理を続けてこられたことに心から感謝申しあげます。裁判所におかれては、これから貴裁判所が練り上げ、言渡す判決は、このような切実な期待を背負い、放射能公害による前代未聞の被害に対する先導的・代表的な司法判断という歴史的な意味を持つ、貴重なものであることを受け止めて、歴史に残る判決によってこれに応えて頂きたい。 原発事故から10年という大きな節目を迎えての司法判断であることを踏まえ、一審被告らが判決を真摯に受け止め、一審原告ら被害者に謝罪し、誠意をもって償う決断をすることを強く促す、正義の判決となることを求めてやみません。 以 上判決は2021/9/29/14:00中央が碩学の南雲弁護士

  • 30Mar
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      大学教授陣の生き残りを賭けた捕縄金目当ての文科省に媚びた社会貢献要請による曲学阿世に抗議する

      これは半分はやっかみであるが半分は正論である。我が師匠は私が大学に行くときに「そこは競走馬の養成所だから行くなといった」私が合格を知らせると「おまえのこの遠回りを是正するのにどのぐらい時間がかかるか知るが良い」と叱責された。よんとうごらくの勉強はした。しかし一切の賛美は無かった。まあ最高学府ではなかったから。だがその私的は当たっていた。要約すると次の点においてである。①大学仏教は訓詁学やその場限りのフィールドワークであり総じて机上の空論である。言ってみれば思いつきを現実にする頭脳のやらせだ。②たとえば仏教とか遍路文化を研究対象にするとき、やはりアップダウンでありボトムアップではない。そもそも問題の所在が掴めていないのだ。③日本の人文科学は特に文字に頼る傾向が強い。幾ら文字をコネ繰り回しても現実は把握できない。④仏教の心髄が菩薩行であり、遍路の心髄がお接待であるなら、その行に突入しなければそれはぐんもうぞうを撫でるどころかであって、象には決してならない。それでも新城常三は「社寺参詣の社会経済史的研究」で職業遍路の正当性を炙り出しているし、松本清張は小説家でありながら司馬遼太郎のような稚拙な持論展開には陥らず、貧しい山村の次男三男の行く末を負いながら如何にこの世で底辺を生きることが苦しいかを史実に基づきながらありありと現出している。⑤そうなるとやはり問題は動機である。大学が悪しき福沢の実学イズムにという名目の元に、特に今般日本学術会議が思想統制されたように、現実離れした政府広報を予算削減という笞と研究対象補助金という飴によって誘導されているかである。言ってみれば、四国ならへんろをやれということだ。やりたくもない研究をして生きているのだ。では彼等が、善良な動機でがくもんの道に入ったかというとどうか。先の二碩学のような魂を継ぐものならば是となろうが、単なる物好きなら困るということになろうか。いや、それでは学問の自由は保障されない。私はパーリ語などで書かれたブッダの教えと空海の教えを専攻してきた。では其処に自分が考える真の学問があるかというとどうだろう。100人の99人までは局所専門馬鹿であり、問題意識が私とは大きく異なる。ならば私は門外漢なのか。⑥総じて、福沢イズムは司馬遼太郎が受け狙いの虚構詳説を連発したように、世間受けに堕する傾向がある。今のマスコミの視聴率への傾斜没落と同様だ。司馬遼太郎は娯楽マンガとしては優秀だろう。このごろ遍路を解説しにでてくる学者連もどしろうとの知的好奇心充填にはいいだろう。だが真剣にお参りしている人々にとっては百害あって一利なしだ。なにも今回石手寺サマヤ出版が出した「四国へんろ体験集 その一、自死闘いと再生、お接待と菩薩行」が正しいというわけではないが、大学の曲学阿世とこれを比べれば大差がある。どちらも正しいとは思えない。新刊が嘘でないとするとやはり彼等は嘘つきだ。