あまりにも普通な一日でした。今日は一日中データ入力をしていました。特に変わったこともなくいつもと変わらない一日が過ぎました。ただし、違ったことが一つ、その普通な一日の中で、自分が考える、目に付く、感じることが違っていました。
具体的に、いつもは何も考えずに接している人なのに、ちょっと、質問を多くうなずきを多くしながら会話をしていると今まで見えてなかったものが見えてきた。その人の考えというものだ。
今まで、自分の考えばかりを伝えようとしていて、それでも整理がつけられづにごちゃごちゃなままの考えを抽象的な言葉を使って説明していました。というかしています。
それにくらべて、人の考えが見えてくると、自分の考えが今まで以上に整理された状態で話せるようになる。たぶん理由としては、何か物事を説明する時一番簡単な方法として経験をさせるというのがあると思うが、それができない時には、相手が経験した時のことを例に挙げて説明する方法があると思う。またさらにそれが難しい時は、何か相手が経験した事と比べて説明することが出来ると思う。
相手の考えを知るということは、相手が考えるというプロセスを経験したことを理解するということなのかも知れない。そうすると、その相手の考えを例にたとえ自分の考えとの違いや合致を説明すると理解されやすいというのがあると思う。
本題の、何故考えが整理されたかんじがするのかというと、たぶん。自分の考え方を相手の考え方と比べられるから、位置といったらおかしいかもしれないが、その考えの意味することなどが整理されやすくなるのかもしれない。また、相手の考えたプロセスを自分なりに経験することによって抽象的だった自分の持っていた考えが、相手と共通した経験(相手の考えのプロセス)を通すことによって具体的になるのではないかと思う。
って書いているが、自分の考えが整理できなくなってきました。
今日の電話:
あたまのいいひと