長い自分語りですが。
4年前の3.11、ぼくはまだ『働いて』いました。
その前年から盛大なミス、、、というかメンタルが起因する失敗を
繰り返していて、それが一応解決したのが実はこの日。
問題を終えた書類をちょっと高揚しながら整理していた時に突然、
でっっかいビルだったのですがまぁ揺れまして。
周りは慌てて机の下に入ったりする中、ハイだったので意地になって
作業続けてたら尋常じゃない騒ぎだとようやく気付き、
PCでTVを見て、この世の終わりみたいな空気に・・・
帰れる人は帰れと言われ、歩ける距離に実家があったので
1時間半くらい歩いて帰るも周囲はまさに阿鼻叫喚。
東京でもあんなになるんだぁ・・・と変な感覚でした。
幸い実家はみんな平気で、家も無事、
みんなで食事も頂けましたがどーにもひとり暮らししていた家が気になって
ヘルメットにスーツで自転車というトンチンカンな格好で
2時間かけて大移動。
途中様々な景色を見ながらも、無事に帰宅すると古い家屋だったのに
これまた全く無事!よかった・・・
この週末から浅草大道芸に復帰する予定だったのですが突然中止、
私も休日出勤してお仕事をしまして。
その時「商圏マップ」ソフトを使う仕事をしていたので福島を中心にした
地図を何枚も作ったり、東北の人と何度も電話して現状確認、都内でもガソリンが
無いのであちこち掛け合って車やガソリン手配なんかしてました。
その後なんやかんや落ち着いてきた頃、
『将来のキャリアプランを考えてみよう』なんて課題が出たんだけど
まー。書けなくて。
それまでは、働きながらパフォーマンスでも素晴らしい物を目指す、
という目標があったのですがなんというかあの出来事を境に、
「人はいつでも死ねる」という当たり前のことを気付かされました。
幽☆遊☆白書で戸愚呂がこう言ったけどまさにソレ。
何か急に「やり残しはしたくない」と思ったみたい。
なのでその課題はほんと適当に書いて、その2週間後に
上長に「退職したい」って伝えたら「オマエあの課題なんだったんだ」と怒られました。笑
不安定極まりないパフォーマンスのお仕事、
ましてあの状況で辞めるなんて「愚の骨頂」とばかりに周囲にも止められたけど
後悔しない人生を歩みたかったんでしょうね。
なんの保証もないのに、なぜか成功する自分をイメージして
不安はあまりありませんでした。
(不安をかき消す思い込みだったのだと後で気づく)
その後2011年いっぱいまで働いて、12年の元旦から晴れて
クラウンとしての人生がスタート、お陰様で3年以上何とかやってこれました。
本当にたくさんの方々とのご縁や偶然の出会い、支えを受けて
自分はつくづく人に恵まれていると感謝してやみません。
結婚式から1年経ち、家族と共に今年はまた大きな変化もあるやも。
なんて状況をハラハラしながら過ごしています。
まだまだ現地の方々へ出来ることは全然できていない私ですが、
毎年この日には自分の人生をどうするか考えるチャンスを頂けた、
と解釈しています。
これからも1日1日を大事にして、奢らず前向きに努力をしていこうと誓います。
家族も大事にせにゃいけません、といつも嫁に怒られます。笑
ふと、毎年3.11はお仕事してるなぁ~と思い、
ちょっと振り返ってみました。