ここ何日か、過去の自分と向き合うことが続き、苦しくて苦しくて、その事から抜け出せずにいました。
仕事をしていてもふと気がつくと、子どもの頃の理不尽な想いが、わーっと溢れて来て、涙を止める事が出来ないのです。
いつもは明るい、雅子ちゃん。
子ども達に人気の妖怪ウォッチ的に言えば、ドンヨリーヌが取り付いていた感じです。
そんな訳で、ドンヨリーヌ雅子、ある方に救いを求めました。
彼女は徹夜で子どもの頃の私と向き合う作業に付き合ってくださいました。
37年間を振り返るに、恐らくこんなにも誰かに寄りかからせてもらったことも、優しく寄り添ってもらったこともなかった気がします。
自分で自分の気持ちに蓋をする癖がついていたようで、自分の本心と対峙してこなかったのです。
母に言えなかったこと、して欲しかったことを書き出し、話を聞いてもらい、大人になって母にかけてもらった嬉しかった言葉などを丁寧に振り返りました。
彼女は優しく、がんばったね、辛かったね、偉かったね!と、たくさんたくさん褒めてくれました。
そして私の気持ちを解ってくださり、私よりも大きな声で泣いてくださいました。
私は泣くのが苦手です。
どんなに傷つけられても、布団の中で静かに泣くような子どもでした。もしくは誰も居ない場所で、こっそり泣いて、涙を拭いてから笑って帰宅するのです。
涙は出ても声をあげて泣くことが上手く出来ないのです。
でも、私よりも私の気持ちを代弁しながら大きな声を上げて泣いてくださった彼女のお陰で、私もやっと声を上げてわぁ~っと泣くことができました。
泣きながら今は亡き仲間の写真がふと目に入って来て、その仲間の応援もあってか、今まで口に出来なかった大人達への恨み辛みを、ようやく口にすることが出来ました。
そして最後に一番苦しい言葉と向き合いました。
『お母さんなんて 大キライ!』
ホワイトボードに書かれたこの一文を、直視することすら苦しくて、文字を目で追うことも躊躇してしまうほどに、私にとってはタブーな言葉だったのです。
吐きそうな位とても苦しくて、頑張ろうとしても口を開くことが出来ないのです。
「台詞だと思って言ってごらん」
そう言われても、言いたくないのです。
多分、相当な時間が経過しました。
文字を見るだけで泣けてくる。
違う、違う、違う。
これは私の言葉じゃないよ、お母さん。
お母さんを嫌いになんてなれないよ。
でも、あんなこともあったね、こんなことも言われたね…。
好きだよ。嫌いじゃないよ。
泣きながら小さな声でようやく捻りだすように口に出せた後は、普通の声で、そしてより大きな声で言いました。
本当に苦しかった。
なのに言ってしまってからは、さっきまでの葛藤が嘘のように、ホワイトボードの文字は、ただの一文、ただの台詞になっていました。
子どもの頃の私が、パッと頭に浮かびました。この言葉、投げつけてやりたかったんだね。
私は昨年、ひとつの夢であった『映画うまれる』の上映会を企画し、それを実現させる機会を頂きました。
母への感謝と私を選んで生まれてきてくれた子ども達に感謝を伝えることができました。
だから自分は過去を乗り越えた、だから私は大丈夫。
だってお母さんが大好きだし、たくさん感謝出来ているもの…。
そう思っていたはずなのに、心の奥底にこんなにもたくさんのマイナスの感情を抑えつけ、書換えられていた過去があったとは、思ってもみませんでした。
じっくりと私の気持ちに寄り添って、このトラウマに向かい合わせてくれた人の名前は、洋子さん。
奇しくも母と同じ名前の人でした。
今は二人の洋子さんに、感謝の気持ちがたくさん溢れてきています。
お母さん大変な境遇の中で、私を育ててくれてありがとう。
お母さんも、辛かったね、大変だったね。
大好きだよ。
だから、私のことも好きでいてね。
残りの人生、私で良かったらいつでも笑わせに行くよ!お出かけもいっぱいしよう!
たくさん楽しい思い出、一緒に作ろうね!
洋子さん、出逢ってくれて、ありがとう。
私のために泣いてくれて、ありがとう。
嬉しい言葉をたくさんたくさん与えてくださって、本当に本当にありがとう。
大好きです。

