イチゴちゃんの(食生活)ぶろぐ -11ページ目

イチゴちゃんの(食生活)ぶろぐ

~スケート依存症のイチゴちゃんの平凡な日々を皆さんにお見せしまする~

今日は土曜講座で学校行って来たよん

今は木工~~

あぁ、疲れたw

今回は墨付けなんだけど、結構出来たかな(*^▽^*)

こういうの好きだし


もうバトン部じゃないから練習も毎日ないし勉強がいっぱい出来る分ちょっと淋しいな(´・ω・`)

でも、茶道部も楽しい

先輩も皆すごく素敵だし、やさしいし、

なんと言ってもお茶が旨しwww

お菓子もおいしいよ

甘いものがちょい苦手だから、このほんのり感がいいね

休日もやりたいけどやっぱ勉強もしたいからね

頑張ろ~

ある日、彼からムービー付きのメールが届く。 
見てみると自殺する内容だった。

縄に首をかけ首を吊り苦しそうにもがいて彼は逝った。 
そこでムービーは終了。

これも、↑だけでも怖いっちゃ怖いけど・・・
意味考えてみてね♪
恐怖が増すぞっ!!b

俺にも彼女ができた
包容力のある蠍座のB型
丁度仕事から帰って来た時告白されて
持って来た食材で料理中。
つまり俺にも春が来た
たのしい日々が始まりそう
女っ気がない人生から卒業だ
ニコニコした生活が待ってる
居場所もできて
座ってると料理が出てきた
ラッキー
れんあい経験無いけど
てんからの贈り物かな?
にんげん、良い事がある
げんに、俺がそうだ
ラッキー
れんあいも頑張るか
なんか、ずっと見ていてくれて、
いつも気に掛けてたらしい
たのしい
すてきな人生
けいけんない俺で良いらしい
てか、これ見て照れてるよ

意味分かったかな?コピペで申し訳ないんだけど、こういうの好きだからw

少し長編になるかもしれませんが
最近気持ちの整理もできたので書いてみます。

今から6年前の話です。
僕がまだ10代で、あまり携帯電話は普及してなくて、
ポケベル全盛期の時代のことです。

僕はその頃高校を出て働いていたんですけど、2つ年上の女性と付き合っていました。お互いの親にも会ったりして僕は結婚する事を信じて疑いませんでした。

毎朝ポケベルに「オハヨウ」とか「ガンバッテネ」みたいなメッセージのやりとりをしていたのですが、ある日僕がメッセージを送るのがめんどくさくて送らない日があって、彼女からもメッセージは送られてきませんでした。

ちょうどその日は給料日で、僕は今日は彼女にメシでもおごろうと、どこに行こうか考えていました。仕事が1段落つき、昼休みに入り食事に行こうとした時に僕宛の電話がなりました。

その電話は彼女の交通事故を告げる電話でした。
僕はその電話を置いた後、しばらく何のことかわからなかったんですが、「今意識不明だ」という言葉に体中
汗ばんだのを覚えています。

すぐに無理やり会社を早退し、彼女が運ばれた病院へ
向かいました。

電車の中で「実はたいした事ないんちゃうかな?」とか
自分に都合のいい方にしか考えたくなかったんですが、
「もしかしたら・・・」って考えると、周りに人がいるのにボロボロと涙が出てきて、すごくさみしい気持ちが溢れてきました。

僕が病院に着く頃には、意識が戻っている事を祈りながら病院まで走っていきました。彼女の家族に出会い、容態を聞いてみると、彼女は集中治療室に入っているという事を聞いて事態の深刻さを悟りました。

外傷はほとんどなく、脳にショックを受けたらしくまだ意識は戻っていませんでした。

僕はとりあえず会社に彼女の意識が戻るまで休む事を電話で伝えて、病室の前で意識が戻るのを待つ事にしました。その日は病院のソファーで、ほとんど眠れずに夜を明かしました。
目の前のストーブで背中は寒かったのに、顔だけがすごく火照っていました。
結局その日は意識が戻る事なく、次の日の朝1番で着替えなどを家にとりに帰りました。

病院に帰ってみると明日手術ができるかどうかがわかるだろうという、医者からの話があったそうです。

そして5分だけ面会時間がもらえるとの事で、僕は会いたいような会いたくないような、複雑な気持ちでしたが、給食当番の時の様な服を着て彼女に会いに部屋にはいりました。

部屋の中は訳のわからない機械がいっぱいで、その中のベッドの一つに彼女が寝ていました。まるで眠っているだけの様な顔で、名前を呼べば今すぐにでも起き上がってきそうでした。
手を握ると腕のあたりに、点滴などの管が何本も刺されていて、容態の悪さを物語っているようでした。それと、唇が妙にカラカラになっているのが気になりました。

5分間というのは短いもので、何か話しかけようとしたのですが、なんとなく周りの目が恥ずかしくて言葉らしい言葉をかけれませんでした。
その日は少し気分も落ち着いて、なぜか「絶対大丈夫!」という根拠のない自信でいっぱいでした。

それからは彼女の意識が戻ってからの事ばかり考えるようになり、頭の手術するんやったら髪の毛剃らなあかんから、帽子がいるし買いに行こう!と看病の事を考えて買い物に行く事にしました。

この時僕は目を覚ました彼女を喜ばせる事だけを考えていました。さっそく帽子を探しに行き、キャップは似合わんし、ニット帽だとチクチクするからという事で、綿で出来た帽子を探して買いました。

買い物が済んで帰ろうとした時に街中を歩く女の子を見てると、なんか自分が現実から少しズレた場所にいるような気がして妙な不安を感じました。

その不安からか彼女の意識が戻ったら正式にプロポーズしようと安物ですが指輪まで買って帰りました。

その日も結局容態に変化はなく過ぎていきました。
次の日のお昼前、彼女の父親だけが医者に呼ばれて病状の説明を受けるとの事だったのですが、無理を言って僕も同席させてもらいました。どうしても自分の耳で医者から聞きたかったんです。多分あれほど緊張した事は今までになかったと思います。
医者の部屋に入って、医者の顔色を見てみると、どっちともとれない無表情な顔をしていました。

医者が口を開いて、簡単な挨拶が終った後喋り出したのですが、病状はよくなるどころか病院に運ばれた時点ですでに手遅れでした。

僕はこれを聞いて頭がグラグラして椅子から落ちないようにする事しか考えれませんでした。
どうやら今治療をしている様に見えるのは、家族に心の準備をさせる為に無理やり心臓を動かして、体だけ生かして少しずつ悪い方向へ持っていくというものでした。

僕は部屋を出て彼女の父親に、家族にはまだ言わないで欲しいと言われ、泣き出しそうなのをこらえて、
母親に話かけられても「用事が出来た」とだけ言い残して、誰もいない場所まで走りました。

街中であれだけ涙を流して大声で泣いたのは初めてでした。
それからちょうど涙が枯れた頃、病院へ戻りできるだけ普通に振舞いました。

その夜、彼女の父親と銭湯へ出かけました。
二人ともほとんど無言で風呂に入り、話す事といっても関係ないどうしようもない会話ばかりでした。僕は彼女の父親にはどうしても聞いておきたい事がありました。

僕が彼女と結婚するって言ったら許してくれるかどうかでした。今考えると絶対に聞くべきではない時に聞いたような気がします。病院に戻る前に父親を呼び止めてストレートには聞けなかったのですが、買ってきた指輪を彼女の指につけてもいいか?と聞きました。

彼は黙ってうなずくだけでした。
その夜は眠る事ができなくて、家族と顔をあわせると泣いてしまいそうで外で一人で過ごしました。

次の日、また5分だけ面会できるということだったので、もう1度彼女の顔を見に行きました。

彼女の顔は相変わらず眠っているようで、もう目を覚まさない事がウソのようでした。

僕は彼女の左手にこっそりと指輪とつけました。
もう何の意味もないのはわかっていましたが、少しでも彼女に近づきたいという気持ちでいっぱいでした。
みんなが部屋を出た後、
僕は忘れ物をしたそぶりをして、ベッドの側に戻り、
彼女のカラカラの唇にキスをしました。
それからしばらく経ち、彼女は一般病棟の個室に移ることになりました。医者が言うにはもう長くないので、少しでも家族が長く一緒に入れるようにとの配慮だそうです。

僕は1日のほとんどをその部屋ですごすようになりました。何もする事もなかったのですが、話かけると声が届いてるような気がして、耳元で歌を歌ったり、話し掛けたりしていました。

そして夜が明けて昼すぎになると、医者と看護婦が入ってきて、みんなを呼んでくださいみたいになって、みんなが見守る中、心拍数を表示しているピッピッってなる機械に異変が見られるようになりました。

最後まで僕に片方の手を握らせてくれた
彼女の家族に感謝しています。
それから1時間ほど経った後、
そのまま静かに心臓が停止しました。
僕も含め部屋にいる人みんなの泣き声だけが聞こえてきて、覚悟はしていたものの、本当にこうなった事が信じられなかったのですが、医者の何時何分とかっていう声に現実に引き戻されました。

そして部屋にいる全員が驚く事が起こりました。
僕が握っていた彼女の手がものすごい力で僕の手を握り返してきたのです。

僕は本当に驚いて多分変な声を出していたと思います。しばらくして彼女の手からスーっと力が抜けていきました。

僕は涙はふっとんで、全員にその事を伝えました。
すると彼女の母親が、「きっと、一生懸命看病してくれたから「ありがとう」って言ってるんやで」って言ってくれました。

冷静に考えると死後硬直だったのでしょうけども、その彼女の母親の一言で僕は
今まで道を間違わずにこれたと思います。

年上だった彼女は今では僕の方が年上です。



私は、比較的やさしい、思いやりのある人間だと自負していた。

長女で、忙しい両親に代わって妹や弟の面倒をみてきたことが習い性となったのか、頼まれごとをされれば、なんでも引き受けてしまうし、少しばかり自分の時間や労力を費やすことになっても、それを惜しむ気持ちにはあまりならない。

だから他人からは、面倒見がいいとか、気配りがあるとか、やさしいとか言われ、そう言われればもちろん悪い気はしないから、自分でも何となくそんな気になっていた。

そんなある日のことである。食事中に私は、友人から意外なことを言われた。共通の友人の窮地を見かねて、私が一肌脱いだ経緯を話し終わった時、彼は小さく溜め息をついて言ったのだ。

「君のやさしさってさ、自己満足的なところがあるよね」

私はカチンときた。「どういうことよ、それ」

「いや、だからさぁ、君は確かに相手のために何かをしてあげているんだろうけど、結局それは、自分の美学をまっとうするためって感じが、ときどきするんだよね。」

彼は言いにくそうに、けれどもきっぱりと私に言ってのける。


私は猛然と反論しはじめた。

「何かしてあげて、それで少しばかりこちらの気分がよくなったら自己満足なの?やさしくしてあげよう、と心掛けていることをしたのに、それは自分の美学を遂行したにすぎないって言葉で片づけるの?それって、あんまりじゃない。もちろん私は神でも仏でも聖人でもないんだから、そりゃあ無垢な心でやってる訳ではないけど、相手のことを思ってやっているのは事実よ」
 
黙ってしまった彼の前で、私はひたすら言葉を続けた。

「百歩譲って偽善でもいいじゃないの。偽善でやさしくできるほうが、何にもしないより少しはましでしょ?能書きばかり言って、あなたみたいに何もしない人っていうのが一番始末が悪いのよ」
 
こちらもついつい興奮して、刃の鋭い言葉を投げつけてしまう。彼は苦笑して私を見た。

「ごめんごめん。べつに君を批判してるわけじゃない。人に何かしてもらいたいってことばかり求めている人が多い中で、君みたいにしてあげることを喜べる人は、偉いと思ってるよ。ただ……。 そこで立ち止まっているのは君らしくないと思ってるだけ。」

話はそこで終わり、気まずいまま私たちは店を出て、ほとんど会話をすることなく駅まで歩き、そしてそのまま別々の電車に乗った。下り電車はまだ混んでいて、私は吊り革にぶら下がりながら、さっきの友人の言葉を思い返した。腹は立つのだが、何となく気になる。残念だが心の奥底が、どこかで彼の言葉を認めているような気もしはじめていた。

 

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ふと昔聞いた仏教説話を思い出す。

それは地獄を釈迦が歩いている時のことだった。地獄に落ちた人々が、釈迦に向かって口々に「食べ物をくれ!」と叫ぶ。釈迦はその言葉を聞き、大皿に食べ物を山のように盛り、人々の前に置いた。そしてこう言ったという。

「食べても良いが、手掴かみではいけない。この箸を使って食べるように」

差し出された箸は、重くて長い箸だった。人々は釈迦が歩み去るのを待ちかねて、箸に手を延ばし、食べ物を口に入れようとした。ところが箸は長いので、食べ物を箸の先が掴んでも、遠くてそれを口に入れることができない。ならば箸の下のほうを持って……と試みても、箸は重いので、今度は満足に操ることもできない。

結局、目の前に山のような御馳走があるのに、それらを口に入れることができないのである。人々が泣き叫んでいると、ある一人の老人が何事かを思いついた。

箸で食べ物を掴んだら、自分ではなく、目の前の人の口に入れるのである。食べさせてもらった人は、もっと食べたいから、その人も箸で食べ物を掴み、自分の口ではなく、目の前の他人の口に入れる。
 
自分ばかりが食べようとしている時には口に入らなかった食べ物が、人に食べさせることによって自分の口に入る。人を思いやることが、結局は自分に戻ってくることにつながるのだ……というような話だった。


こういう戒めはキリスト教にもある。聖書には「自分がしてほしいと思うことは、人にもそのとおりにせよ」という言葉がある。ごくごく基本的な「思いやり」の教えなのであろう。
 
けれども、あの仏教説話を聞いた時、確かその話をした人は、こんなことを付け加えていたのではなかったか。

「これは、思いやりは大切だという教えではありますが、もう一つ大切なことが隠されています。それは、人が誰かのために何かをするという行為は、所詮、自分への見返りを期待してのこと。仏の慈悲と同じだと思い上がってはいけない……ということです」
 
友人はこのことを言っていたのだろうか。自分の行為を仏と同等に扱ってはいけない。それは思い上がりであると言いたかったのであろうか。
 
私は決して、何かを人にしてあげる時、具体的な見返りを期待しているわけではないと思っているが、でも心の底には、そうする自分を見て満足するとか、人の評価を聞いて満足するというような、精神的見返りを持っているところが皆無とは言いがたい。 
 

私は窓の外に目を遣りながら、じっと考えた。聖書の中に、こんな言葉もあったっけ。

「人がその友のためにいのちを捨てること。それより大きな愛はない」

見返りを求めず、自分の身を投げうつことが愛というならば、私がささやかにしている行為など、愛の足元にも及ばない。
 

私は胸が苦しくなった。
 
してもらうことを望むより、してあげることの喜びを感じられるほうがいい。偽善でも見返りを求めるような気持ちがあっても、やさしさを表さぬよりは、表したほうがいい。

けれども、そこは第一のステップにすぎない。その上に、階段はずっと続いているのである。私はその階段があることに気づいていなかった。…いや、気づいていたのかもしれないが、面倒で、見ないようにしていたのかもしれない。
 
友人はたぶん、そういうことを言いたかったのだろう。
けれども、だとしたらいったい私はどうしたらいいのだろう。どんなふうにすれば、せめてもう一段、階段を上がれるだろう。

 

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帰宅後、私は思い余ってさきほど別れた友人に電話をした。電車の中で気づいたことを素直に告げた後、どうすればいいのだろうと尋ねたら、彼は笑いながら言った。

「感謝感謝」

「え?」

「神や仏の愛はもちろんだろうけれど、たとえば・・・・・

植物はさ、あなたのために無償で空気を提供してくれてるんだし、太陽はさ、何の見返りもなくあなたを暖めてくれてる。人は誰もみんな、気づいていないかもしれないけど、もの凄い『やさしさ』を与えられながら生きているわけよ。

それを思えば、君は誰かに何かをしてあげた時、きっと自己満足なんかしないと思う。
むしろ、あたりまえだと思っていた街路樹やこもれびにサンキューって言いたい気分になると思う。偉そうなこと、俺も言えないけどね」

 
私は体中が温められたような気分だった。

 
その友人は二年後に亡くなった。

周囲の人の殆どは知らなかったが、彼はずいぶん以前から重い病を抱えていたという。
もちろん私もそんなことはまったく知らなかった。
郷里に住む高齢のご両親にかわって、友人たちが彼のアパートの整理をした。そのうちの一人が、後日、私に電話をしてきた。

「彼の部屋は貼り紙だらけだった。テレビには『笑いに感謝』、流しの水道には『水に感謝』、トイレには『排泄に感謝』、ベッドには『眠りに感謝』、それに……薬の入った箱にまで貼ってあるの。何て書いてあったと思う?
『病気に感謝』って書いてあったのよ」

彼女はそういうと電話口で泣きだした。


人に何かをしてあげること。

それはもしかしたら、自分が目に見えぬ多くのものに守られ愛され支えられていることを素直に感謝する瞬間なのかもしれない。
 
次のステップはまだ遠い。でも私はあの友人のおかげで、ほんの少し心の階段を上ることができたかもしれないと思っている。

(こうづ かんな)

《大望》2月号より転載