先日、親戚が亡くなった。
健康体そのもので、突然の訃報に一同驚いた。
定年まで教職にあり、定年後は畑仕事に精を出し、
玄人はだしの野菜や果物を笑顔と共に届けてくれた。
丹精込めて作られた作物には確かに愛が宿っていた。
まさに晴耕雨読を絵に描いたような
穏やかで奥ゆかしい愛に満ちた老後だった。
「父は体調不良を訴えて4時間後には旅立ち、遺された家族には
あまりにも急な死でしたが、不器用な父が見せた最初で最後の
茶目っ気だと思って、笑って見送ってあげてください。」
喪主を務めた息子さんの挨拶がまた気が利いていた。
思うに、葬儀は死者を弔う為のものではあるが、
寧ろ遺された者の為のものであるのではないか。
旅立つ者が遺された者へ贈る最後の言葉を聴く為に・・・
「いつか必ずあなたも死を迎える。
いつその時が来ても良いような只今の生き方をしなさい。」
スティーブン・R.コヴィー博士の
「7つの習慣」の第2の習慣は
「終わりを思い描くことから始める」だ。
自分の葬式を想像してみる。
家族や友人たちが、
自分の葬儀に参列しているとしたら、
一体、自分は何と言われたいだろうか?
生と死は一つだ。
やがて目覚めない朝が来る
このブログのタイトルでもある。
誕生日に敢えて心に刻む。
明日死ぬかのように生きよ。
永遠に生きるかのように学べ。
byマハトマ・ガンジー