一年が経つまでは毎月11日に震災関連の記事を書いていましたが、
その後は忙しさにかまけて書いていませんでした。
そうこうしているうちに、もう二年になってしまいましたね。
こういう書き方するということは、
私にとってはあっという間の二年ということなんでしょう。
でも、二年も経ったのに・・・。
今の家からは車で30分もかからずに
津波で甚大な被害を受けた地区を見ることができます。
ショベルカーやクレーン車がたくさん動いていて、
息子は目を輝かせますが、
そこにあっただろう建物は何もなくなっていて・・・。
巨大な堤防を作る工事が進められています。
そこからすぐ近くのところにはまだ瓦礫が残っています。
でも、進められるならまだいいです。
放射線の影響で何も手を付けられないところがまだあります。
それどころか、未だに原子炉での作業は続いているんです。
収束なんてしていないんです。
そういうことって、普段はまったくと言っていいほど報道されませんが。
仙台で被災して、実家は放射線の影響を受けていて・・・。
それでも、今普段通りの生活ができている私たちは
とても幸せだと思います。
去年一年経った時も書きましたが、
震災関連の報道特集はいまだに見れません。
あの日のことを思い出し、胸が苦しくなるから・・・。
私なんかより大変な思いをした人はたくさんいるのに・・・。
直後の方が、
「今どうなっているのか?」「今後どうなるのか?」
と、必死になってテレビや新聞を見ていました。
その当時の映像が残像となって頭に焼き付いています。
普段は笑顔で過ごしていても、
あの時の光景がフラッシュバックのように浮かんできます。
忘れたくてもきっと忘れられません。
いえ、忘れてはいけないのかもしれません。
でも、忘れられないのは、つらい思い出ばかりではありません。
息子をおんぶしてあちこち歩きまわったこと。
暖房もなくて寒かったけど、
息子とくっついていたから暖かかった。
見ず知らずの人が食料を分けてくれたこと。
公衆電話がつながって、母親の声、義父の声が聞けた瞬間。
ぐちゃぐちゃの家の中を片付けていたあの日の夕方、
ダンナが帰ってきて顔を見れた時のあの安堵感。
ダンナと息子と三人で、きつく抱き合った瞬間・・・。
家族の大切さ、人とのつながりの大切さを痛感しました。
今は息子に対してイライラすることが多いけど、
あの日のことを思い出したら、
もっと優しくしてあげようと思えます。
そんな息子は、今日の午後小児科受診しました。
「その時」は黙とうしようと思っていたのに、
バタバタしているうちに過ぎてしまいました。
息子はあの日のことを覚えていないかもしれません。
でも、こんなに大変だったということ、
みんなに支えてもらったんだということ、
折に触れ、伝えていきたいと思います。
そして強くたくましく、やさしい人になってほしいと思います。
私も何もない日常の日々が幸せだということを、
忘れずに過ごしたいと思います。