甲子園が開催されると毎年聞かれるのが勝利至上主義への批判だ。
高校野球もそうだが野球はその批判を浴びやすい。
例えば松井秀喜選手に5打席敬遠を行った明徳義塾の馬渕監督や中日ドラゴンズを常勝チームにした落合監督がその批判を浴びやすい。
しかし勝利するために戦略や戦術の思案がなぜ勝利史上主義と批判されないと行けないのだろうか。
勝利史上主義の定義の中には、戦略や戦術は定義付けられていない。
批判されないと行けないとすれば、それはドーピングなどの不公正な行為や体罰や暴力といった違法行為なのだろう。
スポーツで勝つことを目指さないということは大学受験や高校受験で合格を目指さないのと同じだ。
以前この投稿で目的の大切さを語ったが、勝利を目指さないスポーツに何の意味があるのだろう。
それは我が国日本にも言える。勝利を目指さず右往左往してばかりで、負け癖がつき始めている。
アメリカを見てみろ。世界一の経済力と軍事力で自信に満ち溢れた国になっている。
我が国はどうだろうか?
敗戦の現実から目を逸らし、敗北から学ばず、ナンバーワンよりオンリーワンと聞こえはいいが、欧米の2番3番煎じの政策ばかりしている。
国民にも負け癖が付き、自分で行動せず、乞食みたいに公助にたかるようになった。
勝利を目指す、具体的には日本を一番経済力の強い国家にする、一番強い軍事力を持つ国家にする、世界一の科学技術を持つ国家にする、と行ったビジョンがないのではないか。
勝利は勝ち癖を与え、自己肯定感を与える。
スポーツ選手や勉学に優れた人を見るとわかるが、自己肯定感にあふれている人が多い。
勝利は自分自身の成長と肯定のスパイスだ。
では次の言葉で締めよう
まずは、どんな形であれ勝つこと。
勝たなければ何も始まらない。
芹沢達也 ラーメン才遊記より
おわり
追記
いずれは落合博満監督についても語りたいと思います。野球ファンの方、お楽しみに。