勉強ってクソつまらないですよね。わかります。


しばしば勉強はやらされいるからつまらなく感じると、主張する人は多くいます。


しかし、それは違います。


そもそも脳が無駄な知識を脳内に保存することを拒否しているからです。


例えば、花粉症を治すためにおしべとめしべの性質の違いをしっても治るわけでもなく、伊藤博文がどんな政策を行ったかを知ったとしても日本の総理大臣になれるわけではありません。


我々人類の祖先類人猿は狩猟をする目的と空腹を満たすという目的があった。


その目的を達成するための知識を作る事が喜びとなった。


我々も同じではないだろうか。


例えばサッカーのテクニック動画を見て面白いのはサッカーが上手くなりたいと言う目的があり、投資の動画を見て面白いと感じるのは金を稼ぐという目的があるからだ。


知らないゲームの攻略本を見て面白くないのはそのためだ。


知識は、目的を果たす上で道具として使用するからこそ役に立ち、吸収効率は上がり、勉強方法も鍛えられる。


食欲が空腹を満たすように、知識は目的により促進される。


目的も提供されない勉強は脳にゴミを溜める作業でしか無いのだ。


最後にプラグマティズムの代表的な哲学者、デューイの著者「哲学の改造」の1節を送り、終わりにします。


何であれ、目的が限定されていることは、思考過程そのものが限定されていることを意味する。

思考過程が十分な成長や運動を遂げることができず、束縛され、妨害され、干渉されていることを意味する。

認識が十分に刺激される状況は、探究およびテストが進む過程で目的が発展するような状況である。


ジョン・デューイ 「哲学の改造」 より