最近何か上画像のようなニュースが多くないですか?


自分の正義を一方に相手にぶつけ、相手に悪人とレッテルを貼ったり、暴力を行使したり。


自分の正義をぶつけて相手を傷つける人で幸せになれている方は皆様の周りにいらっしゃられますか?


少なくとも、私の周りでは見ません。


何故でしょうか?次の言葉を聞いてください。


「悪の反対は善、善の反対は悪じゃ。正義の反対は、別の正義あるいは慈悲・寛容なんじゃ」

黒野鉄斎 パワポケ7 より


正義とは人の従わないと行けない道理を指す。正義を行うということは道理を守らせることとなる。


ただ正義には問題がある。道理が1つではないのだ。


「どんな命令に従う」のも正義、従わないのも正義なのだ。


つまり、どちらも正しいのだ。


法があるだろとの反論があるが、結局何が正しいかその時々で考えなければならない。


だから法の必要性を解くのも批判するのも道理が1つではないため、反論にならない。


結局皆が最善だ、最適だと思うことを考え選択することが「善」である。


よって、正義と善はイコールにはならない。


なら、今まで私たちが正義の対義語として考えられていた「悪」とは何か。


一般論では、世の中のルールを破って他者に迷惑をかけることなのだろう。


しかし、次の側面があることを忘れてはならない。


ワシにとって、悪はロマンなんじゃよ。

ロマン。

わかるか?

ルールにとらわれないことじゃ!

希望、生命力、突破点、新しいもの。

幸せになりたいという欲望!

昔は、”科学”も”自由”も”人権”も”平等”もみーんな”世の中の平和をみだす悪”じゃったんじゃよ

黒野鉄斎 パワポケ7 より


悪は欲望、すなわち人々のロマンの塊なのだろう。

確かに私達は正義のヒーローよりもシャア・アズナブルやDIO、フリーザのような悪役に惹かれるのもそのためだろう。


善や悪も道理は1つなのである。


正義は複数の道理がぶつかり、どれも正しいため妥協が出来ない。


では、善悪の判断が不可能もしくは不安定なものが正義を行うとどうだろうか。


それは歴史からわかることです。


正義は自分自身を幸せにしたり、安らぎを与えることはできない。


多くの人達に喜ばれる最善の行いは何か?自分が生きるために幸せにために必要なことを考え、悩み、実践し続けることが自分のみならず、他者を幸せに

出来る近道であり、社会をより良くするために必要な行為なのです。