2回の投稿で、私達はNPCとして製造され埋め込まれた常識という名のプログラムの下で消費をする事で権力者の奴隷となっている事がわかりました。


では奴隷の道徳を植え付けられた者がどのような末路を辿るのか。


 ​承認を渇望するモンスターの増殖

SNSの炎上、港区女子、ルッキズム、自撮り。

やたらと承認的欲求を求め彷徨うモンスターが多く見られる。


確かにスマートフォンやインターネット、SNSの発展が寄与しているのは間違いない。


だが彼らは何故そこまで承認的欲求を求めるのだろうか。


マズローの欲求5段階説によれば、生理的欲求・安全欲求・緩和欲求・承認的欲求は彼らは満たされているて推測出来る。だが自己実現は叶えられていない。


これは私の考察によるものだが奴隷の工場"学校"が原因ではないか、と考えている。


教師は、生徒を社会に出荷するためにコンプライアンスや通知表で徹底的に管理し品質の良い商品を出品する事が目的だ。


そこで花丸や通知表、偏差値、成績表、志望校のランキングなどの承認を与える。


承認を一度でも受けた生徒はさらに求めたくなる。

正解できない粗悪品も一度承認を受けるともっと受けたくなり良品を目指そうとする。


さて彼らは年齢を重ね学校を卒業する。

そこで会社員としての新しいフィールドへ立つ。


彼らは学校から支配がない。教師からの厳格な管理もない。彼らは自由になる事ができない。


彼らは今度は会社の上司から花丸を貰おうする。

だが会社は花丸を貰い褒めてもらうための場所ではない。


成果のみが評価される。成果を出すためには自ら学ばなければならない。自ら心身のコントロールを

行わなければならない。


学校と会社のギャップに悩んでしまい、心身の不充実感で満たされ、己の存在意義を失う。


だから彼らは安易な方法で承認を求めようとする。

それがSNSだ。いいねを渇望する。まるで教師から花丸を貰うために。



尾崎豊の代表曲「卒業」の歌詞のフレーズにも現れている。




    

卒業していったい何わかるというのか
想い出の他に何が残るというのか
人は誰も縛られたかよわき小羊ならば
先生あなたはかよわき大人の代弁者なのか
俺たちの怒りどこへ向かうべきなのか
これからは何が俺を縛りつけるだろう
あと何度自分自身卒業すれば
本当の自分に辿り着けるだろう




彼は気づいていたのかも知れない。人々が学校を卒業しても承認を求め続けることを。花丸を貰い続けようと支配を受けていることを。チャイムが奴隷の刻を演じる舞台装置になる事を。そして教科書という台本通りの演技をする役者という仮面を被り舞台に立つことを。


彼の死後30年以上経ち技術は発展した。

しかし奴隷の道徳からの支配は強固になりつつある。奴隷たる彼らは学校から永遠卒業できないのだ。


そして永遠に承認的欲求を求める、モンスターとなりこの世を彷徨う。


 ​奴隷の末路

彼らは学校で培われた奴隷の道徳による支配から卒業出来ないでいる。そんな彼らは末人となる未来しか無い。


末人とはニーチェが「ツァルトゥストラはこう言った」にて提唱した概念である。それと同時に人々が堕落した最終形態を指す。


リスクを避け、快適さをばかりを貪り、精神的な充実を得ることが出来ない人間である。


末人の特徴は以下の通り。

 ​①リスクを避け、挑戦しない


挑戦や苦難を避けるため、成長や想像性が失われる。意志の力を持たないため生命力も弱くなる。


 ​②小さな快楽を求る

小さな快楽で満足する状態。深い情熱や大きな目標を持たない。

 ​③群れに従い同質化する

社会の規範に従うのみで、自分の価値観を想像しない。



まさに承認的欲求を求めるモンスター達は末人だ。

いいねと小さな快楽を求めるために整形やブランド品を身につけるなど安易な方法に走り自己研鑽を怠る。後はフォロワーや流行に従い自分自身を創り上げる事が困難になる。


だが花丸を貰う場所が無くなると彼らは絶望する。

彼らの承認を喰らうレストランは幻だったと気づくのだ。

そして再び承認を求め続ける。


仕組まれた自由に末人達は気づかない。

足掻くことも出来ない。

奴隷道徳の支配から卒業出来ない。

闘いこともできずに。