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日々のつぶやき・ひとりごと

スパルタで教えるのと、自主性を尊重して教えるのと


どちらがどうか・・・という番組をやってましたね~。



それって、簡単に答えなんて出ないし、どちらが


正しいとか間違ってるとかいうことでもない気はします。



きっと、年齢にもよるだろうし、小学生だったら、中学生だったら


高校生だったら、大学生だったら、社会人だったら。



それぞれで選択も変わるだろうし、それにしたって


やっぱりどちらがいいということは、言えないんだろうな。



教育とか指導とかということで考えると、必ず教える側と教わる側があって


教わる側の意識がどうかによっても、どう教えるほうがいいのかが


決まってくるような気がします。



たとえば、100やることがあったとして、あるひとは50できればいいと言い、


あるひとは100できるようになりたいと言い、あるひとはよくわからないと言う。



その考えがバラバラなところに、同じ教え方にはならないだろうし、


それぞれに考えさせるということにもならないだろう。


そうした場合、これしかないんだって教えないと、きっと


教える側は方法がなくなるんじゃないだろうか。



やっぱりそう考えると、教わる側がどうなりたいのか、


どうありたいのか、どうしたいのかという、ある意味自主性に


基づいた思いや気持ちがないと、何も教えることは


できないんじゃないだろうか。



求めるものの高さは、もしかしたらバラバラかもしれないけれど


高みを目指すという、その方向がはじめから最後まで


一貫して変わらずにいることが、自主性を尊重できる


条件じゃないんだろうか。



いつも、もっと上へ、もっと上へ。


だれかと比較してどうとかではなく、自分自身が


昨日の自分よりも前に、上に進んでいること。


それを願って、それを強く信じて、続けていくことが


自主性があるということになるんじゃないだろうか。



それを知るために、それを学ぶために、それを求めるために


スパルタで教えることもきっと必要なんだろう。



スパルタであれ、自主性であれ、どちらでも、


必ず必要なことは、教える側も教わる側も、


その相手を信じること。


その相手を思うこと。



そして、自分自身を信じること。


それがきっと、すべてのはじまりなんだと思う。