自助のためもあって、SNSでADHDやASD当事者、そしてその関連かと思われる人の発する言葉を見たりやりとりしたりするんだけど…

頑張る
頑張らない
工夫する
努力する

などの言葉はよく見るし、自分もよく使う。

そもそも「頑張る」って何だろうね。

私は、これまでやってきたことから当たり前に思っていることがあって、その時点としては無理をすることもあるし苦しいこともあるけど、それも結果として頑張りの一つになることがあるなー、と。

やりたいことや望む結果がある場合には、衝動からやるべき事柄やモチベーション、理想とする部分と現時点の自分をグローダウンして比較して見ること、もっと広い範囲での客観性、etc…が必ず関連して来ているので


あー、理屈っぽいな。いかんいかん。

今ざっくりまとめてみると、
「やるべきことの実行と正当な自己肯定と客観性と結果は必須」
かな、と。

私の場合、この中の「結果」というのは、当初望み理想としているそれと同等とは限らないと思っている。理想や願望に届かないこともあるし、時にそれ以上の収穫があることも。「やった結果」ということでしかない。

大事なのは、実行すること。

その「実行する」を「頑張る」や「努力」だと最中に思うことはあまりない。
「きついなー」
っていう時には
「いやいや、頑張ろうよ自分」
と嫌々奮い立たせることもあるけど、実際そこで「実行する」を諦めて「ここまでやった」という結果で終えることもあるw

気持ちの問題でばかり考えていたら、客観性は勿論そもそもの理想も結果も意味ないじゃん、ってことはよく思う。

自分では
「こんなに頑張ってるのに!キー!」
となる時って、思って考えているだけで出力できてない気がしている。大して実行してないってこと。エスパーじゃあるまいし、私の思う実行っていうのは出力することだ。

私自身ものすごい量の妄想レベルからの発想や構想が多いし(これはもしかしてADHDの特徴として時に言われる「アイデア豊富」か?wwww)、社会的な意味での実行に至らないことはよくある。というか、その方が多いんじゃないかな。企画書までは作ったけど自分で完結しちゃうとか、作りかけて放置またはバラして終わりとか。自分単位で言えばそれも実行した結果だけど、そんなん自分の肥やしとして消化する以外に使い道はない。

でも、例えば10個あるうち1つでも実行して結果が出せれば1割もプラス。結果が理想に届かなくても、その時点ではやりきってるならいいと思うし、次の時には今回のが「ここまでは出来る」という自己肯定になってもっと理想に近くなるかもしれない。何でも練習は必要だと思う。


っていうか、やりたいことがあったらそのための訓練や実行って必須だよね。音楽とか美術とかで当たり前に思って来たのはそこだ。だから初めて飛び込んだ今の仕事(放デイ)でも苦しいと思わず日々のノートを残したり研修行ったりできてたのかも。

そう言ったって健常の人よりは「工夫」は必至で、マインドマップのアプリ、紙は紙で色んな形状のノートや紙、罫線、筆記具、付箋、マスキングテープ、定規、しおり、持ち運びの有無や管理方法…なんかを試して試して比較してやっている。iPhoneやmacも文具も大好きだから苦ではなく、よって「努力してる」「頑張ってる」という自覚はない。結果としては、「未だ100%の方法論はない!」んだけどさ。

スケジュールやタスクの管理もまだまだだし、ここら辺はこれからもやりますぜ。


脱線したなー。

何だっけ。
ああ、「頑張る」って何だっけ、か。人により違うだろうし私もはっきり分からないけど、強いて言うなら、

「実行してその結果を認めること、そしてその次を見ようとすること」

かな。偉そうにwwww




ちなみに。

最近自分が頑張ったと思ったことは、知りたいこと勉強したいことのためにビジネス雑誌にお金を出して、ものを増やしたくないのに(管理できないからw)デスクに置いたことかな。半分もまだ読んでいないし、一緒に趣味のムックも買ってそっちは読了。文具LOVE❤️
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