BOØWYのこと

 

1987年7月31日と8月7日の2回だけ、BOØWYが当時確かリリースした全曲をLIVEで演奏するということで4時間にも及ぶLIVEが決行されることになった。7月31日は神戸ワールド記念ホール、8月7日は横浜文化体育館。

 

当時、僕は横浜の大学1年生。大学に入学し、軽音楽サークルの新歓LIVEで前後の席に偶然座った奴らとバンドを組み、軽音楽サークルには入らず、僕が曲を作ってその場にいたボーカルの奴が詩を書くということで11月に初めてLIVEをやることになった。オリジナルはまだ形になっていなかったので、コピーをやることになったが、それが当時大人気だったBOØWY。僕の故郷のヒーローです。(今僕は東京にいますが)

 

で、BOØWYのLIVEがその年の8月7日。当然チケットは取れず、僕はなんとかならないか真剣に悩んだ。

 

どうしたと思います?

 

イベントスタッフのバイトを見つけ、バンドのベースの奴と応募。アイドルのコンサートスタッフなどとともに、ありました、CASE OF BOØWYのコンサートスタッフ!

 

当然それを志願し、ベースの奴と2人、前日の仕込みから入り、ステージの組み立て、照明搬入、機材運びなどやりました。でLIVE当日、会場に入れる人のグループと会場外での警備スタッフのグループで別れることになりましたが、「前日から手伝ってくれた人は中に入っていいぞ」ということになり、ベースの奴と静かにガッツポーズ。今思えばものすごい行動力だと我ながら感心してしまう。

 

BOØWYメンバーのリハーサル風景を見た記憶が無いので、そこは今となっては定かではありませんが、最前列の前でロープを持ってしゃがんで警備する係。LIVEが始まる緊張感の中、僕がギターをやっていたので布袋の前、ベースの奴が松井の前に陣取り(何故そんな配置ができたのか今もって謎)、LIVE開演。イメージダウンが始まり後ろに布袋が出てきた!デカイ!

今となってはカミングアウトしますが、そのベースの友達とこれが見られれば(というか同じ空間で同じ時間が共有できるなら)バイトは首になってもいい。と思っていたので最前列のさらに前で僕らはチラチラステージを見て大興奮していた。それを見たコンサートスタッフの方が何度もケツを蹴りに来るのだけどお構い無し。それでもチラチラ程度だったので許してくれたのかな。そのまま続けることができた。

 

LIVEの途中で休憩時間があり、ベースの奴と「俺、布袋の前だからさ、松井の方しか見えないや。」ベースの奴も「俺も松井の前だから布袋しか見えないや。」と当たり前のことで大盛り上がり、アホだよね、そりゃそうだ。

で、この休憩時間に場所をチェンジしてそのチラ見でLIVE終了。

 

会場の片付け中、ステージに上がりました。布袋と松井の機材に興味深々でしたが、ステージで拾った松井の黒いピックが無茶苦茶ビリビリに切れていました。僕は落ちていた布袋のまだ使われていないピックを拾ってきました。

 

この後、BOØWYは解散してしまいます。

 

1988年4月4日5日のLAST GIGS 東京ドームは、電話ではチケットが取れず、東京ドームのチケット売り場での販売を前日から並び(確か冬でした。中にはコタツを持ってきた強者もいました。)、翌日無事購入することができました。当日確か、バクチクみたいに髪の毛を逆だてていた黒装束のバンドの人たちがいたけど彼らはどうしたかな?

 

5日の東京ドームは外野席だったこともあり、ステージは遥か彼方。会場がデカくて当時はまだ東京ドームもできたばかりだったので、映像と音が数秒ずれることで少し違和感のあるものでしたが、地元のヒーローが解散する場面には立ち会うことができました。

 

今コロナでLIVEもなかなか演れない状況が続いています。音楽がユーチューブなどで手軽に楽しめる時代。配信で購入ができ、CDが売れない時代ですが、僕は応援しているアーティストの作品は今でもCDで買いたい。何故この曲順なのかを考えたり、ブックレットで聞き取れない歌詞を見たりしたいからです。1曲ずつだと、どこか継ぎ接ぎでその作品の全体像が掴めないからです。

 

僕が初めてレコードを親に買ってもらったのが「泳げ、たい焼きくん」(年がバレる)

 

初めてCDを買って聞いたのがBOØWYのJUST A HERO。

1曲目のベースの「ダーン」ときた瞬間のワクワクが今も鮮明に蘇ってくる。これが配信で1曲づづの購入だったら1枚のアルバムの世界観もよく伝わらないのだろうと思う。