皮肉なことに②
「愛が無い。」って言葉がすごく嫌いです。人の愛を勝手に定義したり、量ったり、判断したり、批判したりしないでよって。「学校の子みんなと仲良くしなさい。」と親は言います。でも「世の子とは親密になり過ぎてはいけない。」とも言われます。「愛を示しなさい。」でも「世にあるものは愛してはいけません。」愛に正邪がある。テレビで貧しい人のために一生懸命奉仕する人が取り上げられて、その愛に心震えるけれど「でもこの人は真理を知らないから。」「楽園の希望を伝えることこそ本当の愛」「今助けても無駄なのに」排斥された人はたとえ家族でも無視する。それが最大の愛の表明だから。愛情で動くのは間違った愛。無視するのが正しい愛。誰かを好きになっても、それが恋でも友情でも、相手が”世の人”なら間違った愛。どんなにいい人でもエホバを知らない人だからいずれ滅ぼされる人だからあまり泣かない子供でした。「冷めてるね。」「愛が無い」って言われました。確かにどんな”感動もの”を見ても感動しなかったし、涙も出ませんでした。ひねくれた見方をしていたわけではありません。その”愛”が正しいのかを考えてしまうから、心の動くままに愛を感じることにブレーキがかかってしまう。「アガペー」「アガペー」うるさいなー意味がさっぱりわからないよー。「原則に導かれた愛」には心がついていかない。結婚して、子供を産んで、JWを辞めて、やっと「アガペー」の呪いから解放されました。頭なんかで考えなくても、心が百パーセントで太鼓判を押してくれる愛おしい人がいます。最近はテレビや映画の”感動もの”に弱いです。笑えるくらい涙がボロボロ出ます。CMでも泣いてたりします。年のせい・・・は否定しませんが・・・愛の正邪を考えなくてよくなったから、心に素直になれたから”愛”がやっと腑に落ちました。愛の組織で愛の神に仕えるのを辞めたら、「愛が無い人」卒業できそうです。皮肉なことです。