うまいこと紛れている。

溶け込めてるかって言われると自信は無いけれど

なかなかうまいこと紛れ込んでいる。

JWを辞めてから、”この世”でのよちよち歩きを始めて2年。あっもうじき3年。

 

私の場合、”女性”であることは有利に働いている。

特に今は”ママ”という便利な肩書までついて。

共働き増えたとはいえ、まだまだ結婚、出産で退職して、またパートに出てみたいな人はたくさんいるから

私の、別の理由だけど、うまく説明できない穴だらけの履歴書もそんなに怪しくはない。

職場での会話だって

”子供の話”ははずれが無いし。

後は最近見てるドラマの話とか。

若い子の「彼氏が~」なんて愚痴もふんふん聞いておく。経験者面して。

まあ今の職場はLDH系のファンが多くて、そこはイマイチついていけないけど。

(ゴリゴリ系マッチョはちょっと苦手・・・)

 

数年前まで宗教活動に没頭した世捨て人状態だったなんて

誰も想像だにしないだろうし

私からもそんな臭いは漂っていないはず。

 

で、

そんな風に紛れ込んでいるんだけど

JWであったことは”無かったこと”にしてるんだけど

 

はて

無かったことにしていいのかな?

無かったことにするには余りに膨大な時間ではないかと。

思ったりもします。

 

でも、じゃあ、JWであったこと無駄ではなかったって思えるようなところがあるか?と問われると。どうだろう。

人生無駄なことなんて一つも無いのだとか

遠回りしたようで、自分には必要なことであったのだとか

そんな積極的な見方ができればいいのでしょうけども

正直なところ

悲しいほど何も見つからない。

 

JWやってたから国語力が上がったとか

いやいや、どこか識字率の低い国でね、

聖書研究ついでに親切な宣教者が文字の読み方から教えてあげたっていうんならそうでしょうけど。

私もともと読書好きだったし。JW関係の本を読んでいたあの膨大な時間を他の読書に費やしていればもっと世界が広がっていたかもしれない。

人前で話すのは苦手なままだし。何回割り当てやっても変わらんものは変わらん。

 

JW時代、楽しかったことたくさんありましたよ。確かに。

でもそれは、ここで生きるのなら、せっかくなら「楽しもう」としていたのであって。

「JWであったおかげ」とはどうしても思えない。

JW辞めた時に、母に言われたんです。

「今まで兄弟姉妹たちにどんだけお世話になったと思ってるの」って。

いいですよ。別に。私薄情者だし。

でもさ、それとこれは違くないかい?

”JWの中で出会った良いこと”をどんなに積み上げても”JWで良かった”ことにはならない。

 

というわけで壮大な粗大ゴミを抱えた状態なんですが

どうしたらいいですかね?

どなたか、ゴミ出しの日を教えてください。