今書いていることは他の人にとっては「何を今さら」な話と思います。

と先に書いておきます。

 

他の方のブログを見たり、そのままぼんやりと考えていて、「あ~そういうことか」とふと思えたのでメモとして書いておきたくなりました。

 

JW時代

奉仕中に「輸血」について批判されることがありました。「輸血しないで子供を死なせる宗教でしょ」というような類の言葉です。

相手を納得させる説明が出来る自信は全くなかったので、内心そんな人に出会わないように願っていましたし、出会った時は「まずい。まずい・・・どうしよう」と結構うろたえていました。

自分の司会する研究が”輸血”のところまで進んだ時にも「あーそこはあまりつっこまないでくれ」と研究生に念を送っていました。

そんな私でも私個人としては、自分の命に関して輸血を受けるよりは死を選ぶという覚悟は持っていました。記憶にある限り小学生の時にはすでにそんな気持ちになっていました。実際そんな事態になってはいないので、死を前にして自分がどうなっていたかは分かりません。でもとりあえず”覚悟”はしていました。幼いころから「とりあえず楽園」思考によって”今の命”への執着が薄かったこともあり、自分の命についてはあっさり決められたのかと思います。

 

輸血の質問がいつ来ても答えられるように「論じる」の本から準備をしていました。

主なポイントは

●「血を避けていなさい」の聖書の言葉

●JWは命を尊重している。(タバコ吸わないし、堕胎しないし、兵役拒否するし、だれよりも命を大切にしている)

●JWは最善の医療を受けたいと思っている(輸血以外の)

●無輸血治療の方がえらい(輸血は危険があるし、無輸血でできる手術はたくさんある)

すでにJWへの信仰がある研究生が上記のような説明で輸血拒否を受け入れていったことはありますが、輸血について批判する方をこれで説得できたことは個人的にはありません。

私としても説得を目標にしていたというよりは、相手に言われっぱなしになることなく、とりあえず”答えた””何か言い返した”ことで満足でした。自分でもモヤモヤしていたし、人を納得させるだけの自信は持てませんでした、が、かと言って輸血についてモヤモヤが晴れるまで突き詰めて考えなかったというのが正直なところです。

 

と、ここで「1世2世」を代表して語るには話が大きすぎるので、私と母について。

母は元々医療関係の仕事に就いており、人の死が近い環境にいました。

さらに我が子が死の淵に立つという絶望を経験し、必死につかんだ「楽園の希望」でした。「命への思い」という点で、母は確かに命の重みを痛いほど感じていた人だったと思います。豆腐のような信仰で輸血拒否を伝道していた私のような人間こそある意味では「命を軽視していた」のかもしれません。

 

これまた「何を今さら」な話ですが、「人殺し」であることと「そんなことをしたら人殺し(に匹敵するくらい重大な行為)になってしまうよ」というズレなのかなと思います。

さっきの「論じる」から準備した回答方法ですが、今思えばそんなズレが私の「モヤモヤ」の原因だったのかもしれません。

「JWは命を軽視している」という批判への回答を一生懸命用意していたのですが、

結局論点がすり替わっていたというか、ズレていた。

「JWは最善の医療を受けたいと願っている」とか「輸血にはリスクがある」とか「輸血していても助かっていたか分からない」とか「JWは堕胎しない」とか

もしかしたら本当にこの先何十年後か、百年後くらいには人工血液なんかが主流になって、「昔は人の血を使ってたんだよー野蛮なことしてたよねー」とか言われる時代が来るかもしれない。

でも、問題はそこではなくて、

目の前に死にそうな我が子がいる。自分の命より大切な人。とにかく何でもいいから命だけは助けて。一日でも生きて。命のためにできること全部してください。と医者にとりすがるような時。

その時に、その人間として最も強い感情が動くその時に、宗教上の教理を優先的に考えなければいけない”異常さ”。その治療の是非ではなくて、その”異常さ”が問題なのだと。

だから母に対して、「命を軽視している」とか「人殺し」とか言いたいわけではなくて、「そんなことしたら、あなたが最も憎む人、命の重みにこれでもかと向き合ってきたあなたが一番嫌う、命を大切にしない人と同じになってしまうんだよ。」と本当は伝えたい。

でも伝えたところで、「楽園での永遠の命」という圧倒的な前提を共有していないもの同士・・話は通じない。そりゃあ、楽園での永遠の命が本物ならね、今死んでも、そっちがいいに決まってる。

だからやっぱり、最終的に怒りの矛先はそんなものを天秤に掛けるJW教理(その教理を決めた人、誰か知らんけど)に向かいます。楽園での永遠の命を信じてたっていいんですよ。でも今の命と天秤に掛けさせる必要あるか?と言いたい。

命のために一刻を争う時、「できること全部してください!」って言えない、それは本当に悪魔のような教理だと思います。

 

あーやっぱり長い。まとまらない。しかも大したこと言ってない。

でも書いてみてちょっとスッキリ