Vivi e lascia vivere. -2ページ目

Vivi e lascia vivere.

林檎は「赤い」
その「赤」は皆同じ「赤」ではない
俺の「赤」と貴方の「赤」が違う色だというのに
どうして一つの「赤」にまとめようとするのだろうか






 昨日、ナイトショーで見てきました。

 あまりテレビでもCM流れませんし、館内にもポスター貼ってなかったし、ナイトショーだしで人は少ないのだろうなあ、と残念に思いつつもゆっくり見れると密かに喜びながら、映画館へ行ってみれば、私の予想は外れ、まさかの満席に近い状態でした。──マジかよwww、です。ほんと。

 席も、両隣空いていた場所を確保したのに、五分前に劇場へ入ってみれば既に両手は埋まっており。

 しかも客層を見れば老若男女幅広く、見た目も、学生から夫婦からオタク系から不良っぽいヤンキーから、と本当に館内全てサイコパス! 意味分からない──。とりあえずカオスでした。

 見た目で判断してはいけませんが、本当にサイコパス見に来たの? 場所間違えてない? と何度か思いました。──私が思うと言う事は周囲も私をそう見ているんだろうか。まあいいか。


 そんなこんなで、内容へ。


 あらすじとかまで色々と書きたいんですが、一旦寝てしまった為熱が若干冷めてます。昨日の夜はまだ燃えてたんですけどね。長々と書きました、フェイスブックにw 皆引いてんだろうな。まあいいか。


 とりあえず、思いついた事を書き連ねていきます。ネタバレになりますのでご注意ください。





 まず、そうですね。最初に出たテロリスト。

 彼等が残した本が失われたときを求めて、だと言う事に気づかなかったのは反省。最終巻だったんだな、あれ。なんだったかな──ああ、見出された時、か。タイトルだけは覚えたんだけども。あれが分かっていれば狡噛がテロリストの近くに居るって事は分かったはず。悔しいな。

 それから──、ああ、朱ちゃんが貨物機っぽい飛行機でシャンバラフロートへ向かう時か。

 乗務員、だったか。あいつが「いやあ、普通の人を乗せるのは久しぶりだなあ」みたいな事を言った時の疑問が最後解決してよかった。

 あの台詞がずっと気になってて。じゃあ普段は「普通」じゃない人を乗せてるのか、とか中盤までずっとそれを考えてました。普通じゃない人って事はあれか、シビュラ脳か。いやでもそんな簡単に知られていいわけないよな、じゃあ義肢か何かか、それともロボットとかか。──みたいな。

 最終的にそれがシャンバラ首相だったわけですが。しかしながらそんな何回も体変えなくちゃならないもんなんですね。禾生局長の体は一体いくつあるんだろうか。

 あとは、そう、シャンバラフロートの人間達のサイコパス、犯罪係数についても解決してくれてよかったです。

 潜在犯には首輪が付いてるけれども、政府の人間には付いていない、しかしながら結構虐殺してる──、これで犯罪係数が上がらないわけねえだろ、と。全員免罪体質かと思いましたが、んなわけねえなと考え直し、ひょっとするとカムイ的な薬物医療を使用してるんじゃないかと結論出しましたが、全く違いましたw

 カムイ、の名を出した所で少し二期の事について話したいんですが。

 この劇場版はやはり脚本が違う事もあり、一期に似ている作品だったなと、個人的に思います。──というか二期の要素が本当、少ししかなかった。カムイの名が一度くらいは出るのかなと思っていたんですが、結局彼は透明人間のままでした(一言も出なかった)

 二期から引き継がれtだ物と言えば、雛河君とギノさんの義手と霜月の鼻にかかる態度くらいですかね。虚淵さん絶対霜月扱いにくかったと思うわ。


 二期の残虐さ、残虐性には裏が無かったというか。暗い部分が無かったように思うんです。こう──、見てて不快になるというか(精神的に)。道徳心に触れないというか、何というか。ボキャブラリー増やします。

 でもこの劇場版には一期にあったそれがあって。

 背景がシビュラシステム社会ではない事も理由にありますけれども、命が消える事についての重さとかそういうのを雰囲気で伝えてきたようなそんな気がします。

 民衆に銃を向けて「動いたら殺す」と告げられた後、合間も無く発砲音が聞えた時には、うわ、って思いましたね。そんな簡単に殺していいもんか、と。

 でも、それはシビュラ社会、日本での犯罪係数が上がれば容赦なく殺す、という点と同じ事なのかなと。そう感じました。

 シャンバラの潜在犯には首輪が付いていて、少しでも乱れれば毒殺だったか、そんなんで死にます。でも日本にはそれはない。

 設備が整っていないからという理由でしょうが、目に見える形でシビュラの支配が感じられる。だから朱ちゃんも顔を顰めたんじゃあないでしょうか。もしあれを日本人が見たら、どう思うのか、知りたい所ですね。見えない首輪を自分達も嵌めているというのがどんなもんか、と。ああ、でも腕輪つけてますからね。色相チェックの。あれがあるから大してなにも思わないのかな。それについてはまた、二回目を見た後に考えます。


 話を映画に戻して。

 ええっと、ああ、あと、一期にあった「インテリは強い」ってのが健在してて良かったですw

 狡噛も槙島もそうでしたが、何かと哲学・文学の言葉を引用します。そういう奴に限ってめっちゃ強い。この劇場版にもそれがちゃんとあって、傭兵のボスが引用した瞬間、あ、こいつつえーなとw 

 しっかし、狡噛と殴り合いしてる最中にワーグナーだったか。音楽出してきたのは可笑しかったです。この殴り合いでそんな陽気な発言がよう出てくるなあ、と。ワーグナーの曲?は聞いた事ありませんので、後で聞きますが、きっと彼とは違う印象を持つのだろうなと思います。

 なんだったか──、バッカーノで言ってました。「私にとって切なく、お前にとって楽しい。キャロル、それは何故だろう。一人の奏者による一つの楽曲。──キャロル、いつかお前と物語について議論したことがあったな。あの時私は、事件は一つ、だが物語はそれは関わった人間の数だけある(だったかな)のだといった。これも同じではないだろうか。メロディは一つ、だが──(忘れた)は、聞いた人間の数だけあるのだ。あるいは、それとも──」

 と、まあ人によって色々あるという事で、私が聞いた所でその場面と合うかどうかは分からないですから。


 ああ、長々と書いた。

 とりあえず、一言言いたいのは、槙島が出ててくれて本当に良かったって事ですはいw

 槙島大先生のファンとしては、本当に嬉しかったです。櫻井の仕事が生きている雛河ではなく死んだ槙島だったことに可笑しさを感じますが、それは置いておいて、本当に良かった。

 狡噛が「死者は黙ってろ!」って叫ぶシーンがあったんですが、私はその時「死者にも語らせろ!!」と反発しましたよ、ええ。もう本当良かった。

 出た瞬間、感嘆というかそんな溜息が零れましたよ。周りが「こいつ槙島好きなんだな」って気付くくらい反応しましたもん。ああ、でも良かった。

 内容とか色々評価がありますが、槙島を出してくれたそれだけで私の中の評価は五点満点中五点です。ああ、ヤフーの映画評価で言えば、ですね。星五つ。

 今度は休みの日に、人が少ない日に見に行こうと思います。内容知ってる分細かい所まで見れたらいい、考えられたらいい。本当は本の内容とか知っておきたいんですけど、読んで分析したりしてる間に終わってしまいそうなので──。