こんばんは。
夏休みの終わりに
覚書として残しておこうかな。
今回の休みはいろんな意味で
充実した時間だった。
BALIに行く前は景色の綺麗な場所で
のんびりと過ごしたい と思って、
実際、本当に楽しく ゆっくり
素敵な旅になったし、いろんなことを考えた。
そこで出会った
ホテリアーのBalineseと仲良くなり
来年もバリに来たら 是非 村に招待し
家族を紹介するよ、
と 短い間だったけど 仲良くなれた。
夫婦二人でなぜか、涙腺が。
バリでも割と裕福な家庭で育ち
とても流暢な英語を話す。
ただその反面 日常生活は私達日本人が
思う 辛いとはまた違った過酷な辛さがあった。
あの笑顔は決して作られたものではなく
心から喜ばせたい、
と思ってでる、とても無邪気な笑顔だった。
それに涙したのかもしれない。
最近 富の再分配という言葉が
飛び回っているが 何が 幸福 か、
なんて人それぞれだ。
もちろん、
経済的に最低水準を満たせなければ
無論 バリにも行けないし、食べることすら出来ない。
富の再分配は 経済的に裕福な人間から
税金を取り上げ、これをボリュームゾーンでいう
中間層以下に配分する。
しかし、本当にそれが彼らの幸せなのかは
誰にもわからない、本人のみぞ知る。
ピケティは云う、
実体経済の格差社会に終止符を打たなければ
ますます格差は拡大し 収集がつかなくなると。
確かに経済的にはそう思う。
しかし それは経済的な資本の分配にすぎない。
共有地の悲劇に習う、
人口構造の変化やこれから先の未来に向かう
成長の限界は経済的な資本の分配ではなく
バリの人たちが見せてくれた笑顔の裏にある
本当の幸福とは何か、ということなのではないのかな。
もちろん税制による経済効果は大事だ。
でも日本人のいう低所得層は世界的にみれば中間層にあたる。
日本人はとても裕福だな、旅の中で実感する。
でも裕福を考えたときに本当に幸福であるか、ということ。
確かに裕福であればなんでもお金で買える。
不自由はない、自由に選択できる。
しかし、選択できることが逆に悩みを生み
選り好みをしすぎて負のジレンマに陥ることもあるかもしれない。
バリは日本とのつながりが実は深い。
日本がオランダからの独立を支持したという話もあるが
それは勇気ある日本人が現地で行動した結果、そう見えただけ。
そのとき政府は?今のマスコミに出てくる姿そのもの。
何が正義で何が幸福かなんて 誰にもわからない。
現地の人たちと話をしながら、あ~そうなんだ、こう見えてるんだ、って
考えたり、感じたりして初めて共感するだけ。
現地にいくと白人たちは悠々 カフェを独占状態。
そんな中、観光をしていたわけで。
幸福、正義、格差、富、全ての言葉は繋がりをもっていて
ただなんとなく日常を過ごしているだけ。
今回の旅ではいろいろと考え、感じた。
自分の近い将来のこと、家庭のこと、身の回りの友人、仕事のこと。
新興国の発展には表と裏があること。
いい旅、いい夏休みになった。
あのバリでの笑顔は絶対に忘れない。
Good night.
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