朝鮮半島と台湾─刺青が語る現代史 楊 海英(静岡大学教授)
【静岡新聞:2011年2月9日「時評」】
金正日総書記が死去し、朝鮮半島が再び世界に注目されていた昨年の暮れに、私は中華民国の台湾を訪れた。台湾も朝鮮半島と少なからぬ関わりを有してきたので、その一端を探ってみようと旅をしたのである。
蒋介石総統の中華民国国民党政府は大陸での支配を失ってからは、日本の植民地だった「美麗島」(フォルモサ)とも称される台湾に1949年に渡った。翌年には朝鮮戦争が勃発し、アメリカ主導の国連軍と中国共産党軍が半島でまみえあった。中華民国はアメリカ側に協力し、中国の国共内戦が鴨緑江を越えて諸国を巻き込んだ様相を呈するほどだった。
中国が派遣した「義勇軍」も大半は元々国民党側に従属していた軍隊で、共産党陣営に寝返ってまもない人々だった。南国の貴州省や四川省、それに北の内モンゴルに駐屯していた旧国民政府軍の兵士らを不穏分子と見なしていた中国政府は彼らを人海戦術の消耗品として近代戦争の渦中に投入したのである。共産党の心中を見破った兵士たちは逃亡し、積極的に国連軍の捕虜となっていった。
53年に停戦協定が結ばれた後に、捕虜交換も行われたが、中国義勇軍の捕虜たちの3分の2を占める1万4000人が大陸ではなく、台湾への渡航を希望したのは有名な出来事である。
彼らは中華人民共和国へ渡るまいとの決心を示すために、腕に「反共抗俄(こうろ)」との刺青(いれずみ)を彫りこみ、中国共産党と俄羅斯(ロシア)=ソ連に反対する立場を鮮明にしていたのである。
欧米と異なって、捕虜となった者に厳しい制裁を加える伝統的な思想が東アジアの儒教文化圏にはあるようだ。中国大陸に戻った義勇軍の捕虜たちは処刑されるか、刑務所に拘留されるかなど過酷な運命をたどり、二度と歴史の表舞台に出てこなかった。一方、台湾を選択した捕虜たちは平穏な生活を送った。
90年代に入り、改革開放を始めた中国は少しずつ義勇軍の元兵士らの故郷訪問を受け入れるように変わった。それでも、政治的な清算を恐れる元捕虜たちは旅立つ前に必ず刺青屋に寄って、若き日のタトゥーを消さなければならなかった。
去る1月14日の総統選挙で、中華民国の国民は民主主義の手続きに乗っ取って再び馬英九を指導者に選んだ。一方の朝鮮民主主義人民共和国は三代連続して世襲制を維持した。金正恩氏の後見人は中国共産党である。封建制度を徹底的に打破すると標榜した社会主義国が醸し出す独特な文化現象からますます目が離せなくなっている。
◇やん・はいいん氏 内モンゴル出身。日本名大野旭(おおの・あきら)。国立総合研究大 学院大学博士課程修了。歴史人類学専攻。著書に「モンゴルとイスラーム的中国」(風響社)、「墓標なき草原」(岩波書店、第14回司馬遼太郎賞受賞)など。
この記事の台湾を「美麗島(フォルモサ/葡語)」と美称すると知って、「美麗」という名が自分にゆかりがある事で興味がそそられたことと以前台湾へ旅行に行ったとき、飛行機で行ったので、台湾島そのものを目で確認していないなと残念な気持になった。
最近の日本人のタクシー運転手暴行事件等で「美しい・礼儀正しく・礼節を重んじる日本人」のイメージが崩れつつある台湾、もう一度いく機会があれば、船で渡航したいのと、本来の日本人らしい態度で旅行したいと思う