続き
憲兵警察統治
 国権が強奪され、韓半島には日本軍2個師団と2万余人の憲兵警察および憲兵補助員が配置され、強力な憲兵警察統治が実施された。
 日帝の憲兵警察による武断植民統治は世界にその類例のないものであった。日本の憲兵司令官が中央の警務総長となり、各道の憲兵隊長がその道の警務部長となった。そして全国各地に憲兵警察が配置され、わが民族は武力によって生存までも脅威にさらされた。
 憲兵警察の主要任務は警察の業務を代行すること以外に、独立運動家を捜索し処断することにあった。彼らには即決処分権がありわが民族に対し思いのままに笞刑を行なった。韓国人のあらゆる行為は憲兵警察の判断によって裁判もなく拘留されたり重い罰金が賦課された。また、一般官吏はもちろん、学校教員にまでも制服を着せ、刀を下げさせたことは威嚇的な憲兵警察統治の一手段であった。
 わが民族はこのような日帝の憲兵警察統治によって言論、集会、出版、結社の自由を剥奪され、民族指導者は逮捕、投獄、虐殺された。ために、救国運動を行なって投獄された人士が数万人に達したときもあった。日帝はいわゆる105人事件(1)や様々な独立運動結社に関連した独立志士を逮捕、拷問し独立運動の抹殺をはかった。
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(1) 日帝は1910年12月、平安道を中心にした排日キリスト教勢力と新民会の抗日運動を弾圧するために総督暗殺陰謀をたくらんだと捏造し、数百人の民族指導者を投獄し、このなかで中心人物105人を裁判に回付した。
植民地支配政策の変化
 わが民族は、日帝の無慈悲な植民統治に対抗して挙族的な3・1運動を起こした。しかし、日帝の残忍非道な武力弾圧によってそれはいったん挫折を余儀なくされた。
 韓民族の挙族的な3・1運動とそれによって悪化した国際世論に直面した日帝は、植民統治政策の転換を模索しなければならなかった。日帝はそれまで現役軍人を朝鮮総督に任命、派遣していたのを改めて文官でもその地位に任命することができるようにし、憲兵警察制を普通警察制に変えた。
 しかし、このような植民政策の転換は、韓民族を欺瞞し過酷な植民統治を隠蔽するための、より奸悪で狡猾な統治方式だった。わが国から日帝が放逐されるまでの間、文官の総督は一人も任命されず、また普通警察制度への移行は憲兵警察を制服だけ着せ替えたにすぎなかった。むしろ警察の数と装備、そしてその維持費は3・1運動以前より大きく増加した。それだけでなく、高等警察制度を実施し、わが民族に対する監視と弾圧をより強化した。
 また、このときに『朝鮮日報』と『東亜日報』などわが民族の新聞発行が許可され、同時に教育の機会を拡大するという、いわゆる文化統治が打ち出されたが、それも欺瞞政策の表面的スローガンだけであった。実際に言論に対しては検閲を強化し自分たちの気に入らない記事は勝手に削除し、さらには新聞の停刊を茶飯事に行ない、廃刊までも躊躇しなかった。
 日帝のいわゆる文化統治は実際には少数の親日分子を育て、わが民族を離間、分裂させ、民族の近代意識の成長を歪曲し、初級の学問と技術教育だけを許容し、日帝の植民地支配に役に立つ人間を養成するためのものだった。
民族抹殺統治
1920年代後半、世界的に吹きあれた経済恐慌の難局を打開するために、日帝は日本本土と植民地を一つに結びつける経済ブロックを形成した。これによって韓半島の労働力と資源は日帝によって徹底的に収奪された。
 その後、日帝は満州を占領し、さらに中日戦争を挑発して(1937年)、本格的に大陸侵略を強行するとともに、韓国を大陸侵略の兵站基地にした。そして、植民政策を強化し、わが民族をさらに弾圧し、あらゆる分野にわたって植民地収奪政策を強化した。
 日帝はこれにとどまらず太平洋戦争を挑発した後、戦争遂行のために韓国の人的・物的資源収奪に狂奔した。それだけでなく、わが民族の文化と伝統を完全に抹殺し、韓国人を日本人に同化しようとあらゆる手段と方法を動員した。
 わが民族は日帝の内鮮一体、日鮮同祖論、皇国臣民化のような荒唐無稽なスローガンのもとで、わが国の言葉と歴史を学ぶことができなかった。また、皇国臣民の誓詞暗誦、宮城遥拝、神社参拝はもちろん、はなはだしくはわれわれの姓名までも日本式に変えるように強制した。日帝はこれを拒否する人に対しては投獄、殺傷までも躊躇せず、このような政策に従わない宗教系統の学校は閉鎖された。
 また、わが民族は戦争に必要な食糧と各種物資を収奪され、わが国の青年は志願兵という名目で、また徴兵制と徴用令によって、日本、中国、サハリン、東南アジアなどに強制動員され、命を失い、女性まで挺身隊という名で強引に連行され日本軍の慰安婦として犠牲になった。
 このような日帝の植民地政策は韓国の自主的近代化と発展に莫大な支障をきたした。あらゆる政策が日帝の植民統治のための手段として計画され執行され、施設の設備投資もやはり同じ目的で行なわれたために、わが民族には何の役にも立たなかった。
終わり

韓国にも近隣諸国条例を設けてもらい、日本に配慮した教科書作りをお願いしたい。