増税前セール、流行ってますね。
自分も色々買い込んでしまいました。
一年くらいは日用品を買わずに済むんじゃないかと・・・。

さて、増税前の買い物の最後に買ってしまいました。
念願のMacbookです。
iPhoneとiPadを持っていて、周りにMac持ちが多いということと、
Windowsに魅力を感じなくなってきた事が大きな理由でした。

まあ、一番の理由は、WindowsXPが4月でサポート終了になってしまうという事。
自分の前任PCはXPで、7~8年使ってもいたのでそろそろ任期が切れるやもとは思っていたのでした。
Windows機にしてソフトを使い回そうにも、相当に古くなっているので使い回せないし。

さて、Macbookですが、まずはデザインが良い。
proなので重さはそこそこありますが、折り畳んだ時の薄さもいいです。
A4のボックスファイル(書類スタンド)に他の書類と違和感なく入るので、使わない時に本当にスッキリさせられるのが良いです。
最初こそWindowsと操作性が違って使いづらいような感じもありましたが、すぐに慣れました。
そして、内蔵のトラックパッドが使いやすい。
Windowsノートだと、マウスが無い時の臨時という意味合いですが、Macbookでは使えます。というのも、iPadと同じように、ピンチイン(拡大)、アウト(縮小)、また2本指の上下でページを上下にスクロール出来るなど、数通りの指の本数と動かし方に対応していて、まるでiPadを使っている時と同じような便利さなのです。
今回、頑張ってRetinaディスプレイモデルにしました。
それは、もちろん画像が美しいというのもあるのですが、バッテリー駆動時間が9時間もあるという所が大きかったです。
図書館など、戸外に持ち出して、でも電源が使いづらい状況でも使えるPCが欲しかったのです。ACアダプタはコードが邪魔だし、何気にかさばるし。マウスも要らないから、本体だけ持って行けばいいというのは機動力があります。
バッテリー駆動時間が長いから、家でも充電をしたらケーブルを外して使用しています。ケーブルやコードから解放されているので片付けようという気にもなります。
あと、このモデルで予想外に良かったのが、SSDの存在。
これは、いわゆる記憶媒体なのですが、普通はハードディスクです。ハードディスクはディスクという様に、円盤に書き込まれたデータをピックアップで読み取ります。
そのため、ディスクを読み取るのに動力が必要で、PCが頑張っている時にカカカ・・・という音がするのはそのためです。
もちろん、その間タイムラグが発生します。
しかしSSDは、そこが基板になっています。
なので、タイムラグは発生しません。起動は30秒以内で完了します。
アクセス音も皆無なので、部屋が静かでタイプの音だけがするという・・・最初は違和感を感じる位、静かでビックリしました。

まだ使い始めたばかりですが、iPhoneやiPadを使っている場合は、使用感がほとんど変わらず統一されているというのは本当でした。
ユーザーフレンドリーというか、人に優しい感じが良いです。
クリエイティブな人じゃなくても、全然いけます。



3.11。
あれから、3回目になります。
計画停電からもう3年目になるのか、と思うと、長いようでもあり短いようでもあります。

長文失礼します。

あの、地震が起こった時のことは良く覚えています。
自分の所は震度2~3位だったかな。大きめの揺れでした。
とは言え、まあ、ちょっと大きかったね、位の感じで、
それが、情報が入るにつれ、背筋がぞくりとするような、とんでもない事が起きたのだという事が分かってきたのでした。
世界の終わりがブラジルから起き始めた時の恐怖というか。

人は、何でも五感で感じたいものだと思う。
美味しそうなメニューの画像があれば、味覚で感じたく、食べたくなるし、
かっこいい洋服があれば、見て触って着たくなるものです。
けれど、その時の津波の映像は、視覚と聴覚だけがずずずーっと強烈に刺激され、その他の感覚を置いてけぼりにされました。
現実感がないなど、その時、その場に居た方には大変失礼かも知れませんが、偽らざる感覚です。
いえ、その時はそこまで気づけませんでした。今だからそうだったと言えるのです。

震災が起きてから、自分がどうあるべきかということを殊更考える機会が増えました。ちょうど身の振り方に悩んでいた時でもありました。
もしも、何もかも無くなってしまったら、自分は何が出来るだろうか?
そもそも出来る事などあるのか?
いやいやそもそも何が出来るかなど、考える事自体が驕りではないだろうか?

何が正しいのでしょうか。どれを選べば・・・。
でも、それは答えの知っている問題で100点を取るようなものです。
その基準で物事を選んでも、空しい。
決まりきった基準では決まりきった答えしか出ませんし、基準というのは一方的な視点でしかありません。
でも、失敗もしたくない。自分も、かなりハマってしまった時期がありました。いや、今も決して無いとは言い切れません。

正しさは正解では無い。
でも正しさって、誰に対しての事かと言えば、多くの人の事です。
星の数ほど人が居て、星の数ほど仕事があって、何が正しくて、何が間違っているのでしょうか。
おそらく、どれも人の役には立っていて、どれも何かを傷つけている。
だとすれば、基準は自分、という事になるのではないでしょうか。

体と心、思考と感覚が一致している時、満足感を得る事が出来るようです。
人のためでも、あくまで自分というフィルターを通っていないといけないという事です。

仮に何も無い荒野に居たら、自分はどうしたいのか。
自分は、何をして人の役に立ちたいのか。
きっと仕事の始まりって、そういう事だったのでは?とも思います。

原点回帰している人は強いですよね。

複雑になってしまった社会ですが、どうにかシンプルにいきたいものです。



帰り道。

西の空には美しいお出迎えが。

今日は、肉眼でも地球照(月の影に地球の反射光が当たりうっすら輝く)が見えました。

手前の建物と、月とは1万倍の距離の差。
それでも負けない月の輝き。
当たり前の景色。