またまたおかしな決まりが発令されました。母子3人乗り自転車の容認です。ただし、専用の自転車に乗車しなければ×というものです。
その専用自転車なるものは高価なうえに大仰にガードされた、そこら辺を暴走される方々のオートバイのような異形なデザインをしています。これが安全を確保した製品であるのかどうか疑問です。これは重心が上部に集中して転倒する可能性が高くなるのと同時に巻き添えで怪我をされる方も増えることと思います。私はどうも腑に落ちません。
(ここからは私感です)
大体が3人乗り自転車の容認自体がおかしいのです。子供を一気に2人も自転車で運ぶ必要性がどこにあるのでしょうか? 時間的に余裕がなければ早めに家を出る、距離的な問題はバスを利用する、一番いいのは歩くことです。目的地から5分以上かかると自転車に乗る方々が増えているような気がしますが、なんでも楽な方法を選択するのはいかがなことかと思います。
さらに3人乗り自転車の母親たちが「申し訳ありませんが・・・通ります」的な気持ちがあって走っているならばともかく「そこのけそこのけ」風に歩道を突っ走っているではありませんか? しかも携帯電話で話しながらという方々が多いようです。しかもそれだけのことを可能にする“運転技術”なんてないようです。彼女らを見ているとすべてが運任せに他人任せ・・・で、暴走する彼女たちを避ける他人の気遣いと事故を起こさないような運がなけりゃただの危険者でしかありません。
僕個人の考えですが、最近の人間を駄目にしたのはインターネット、携帯電話、ゲーム機、自動車にそれに自転車・・・だと思います。そのいずれもが良い使い方をすれば素晴らしい道具になるのだと思いますが、便利な道具よりも先んじて人の考え方があまりにも安易で自分勝手になりすぎて、「便利」なことばかりに重点を置きすぎるきらいがあるのです。
要するに一番駄目なのは人の心なのです。
インフルエンザだって、個人個人がきちんとマスクをしたり、早めに病院へ行っていたらこんなに感染は広がらなかったのです。犯罪だって個人個人が他人のことを思いやる少しでも気持ちがあれば、これほど日本に犯罪は広がらないのです。もちろん根本的には経済的な要因もあるでしょうが、犯罪を犯す人たちは経済的な話よりも自分勝手で手軽に金銭を得る方法として犯行を重ねているのです。この気持ちは3人乗り自転車や携帯や傘をさしながら自転車を運転したりする若い母親の気持ちと重なるものだと僕は思います。
個々に他人を考える気持ちがあれば、事故も犯罪も起こらないのです。